2008年05月17日

5月17日 今日の映画

「太陽族映画」〜裕ちゃん映画に狂った日々

1956年の今日5月17日、石原慎太郎原作の映画『太陽の季節』が封切られて日本中に「太陽族ブーム」が吹き荒れることとなりました。
映画化当時、小説に出てくる湘南の若者たちの生態を詳しく知る者は誰もいませんで、原作者の弟で21歳の石原裕次郎が撮影所に呼ばれました。
のちに「裕ちゃん」と呼ばれるその若者はアドバイザーも兼ねて、ボクシング部の選手役で映画デビューも果たしてしまいます。
この型破りな新人俳優は2ヶ月後には『狂った果実』で早くも主役。
『狂った果実』は『青春の情熱』(『海浜の情熱』という説もある。僕自身はフランス語での原題を確かめていない)というタイトルでパリでも公開されて、フランス映画に大きな影響を与えました。
映画俳優イコール美男、という概念も裕ちゃんによって破られました。
『勝手にしやがれ』でジャン・ポール・ベルモンドがデビュー出来たのは裕ちゃんのおかげ、という話はかなりのリアリティをもって語り継がれています。

【MEMO】
★『太陽の季節』(日活作品)
監督:古川卓巳/製作:水の江瀧子/音楽:佐藤勝
出演:長門裕之/南田洋子/三島耕/清水将夫
   坪内美詠子/佐野浅夫/岡田眞澄/石原裕次郎
※注目は長門裕之演ずる主役の名前「津川竜哉」。
 これが「津川雅彦」さんの芸名の由来です。
 つまり、石原慎太郎さんが津川雅彦さんの名付け親、という関係。
★原作者石原慎太郎は1932年9月30日生。映画公開時、わずか23歳。
原作は1955年に発表されて同年第1回『文學界』新人賞。1955年(昭和30年)下期の(第34回)芥川賞を受賞。
★芥川賞の選考会ではここで描かれた「快楽」について取り上げられていて、「石原の描く『快楽』は『無頼』とは別物である」といったやりとりがなされている。
★「戦後世代の最初の自己主張」として注目されて、この時代では驚異的な(だって芥川賞は「純文学」の賞なんですから) 25万部を売って「太陽族」という言葉が生まれました。
★芥川賞の受賞者がスターとして注目されるようになったのもここから。
★待たれた映画化は翌年5月17日に公開された。

★『狂った果実』(日活作品)
脚本:石原慎太郎/監督:中平康/製作:水の江滝子
音楽:佐藤勝、武満徹
出演:石原裕次郎/津川雅彦/北原三枝/芦田伸介
   藤代鮎子/岡田真澄
※津川さんを裕ちゃんの相手役に推薦したのも石原さん。
★公開は1956年7月12日。2年後にパリでも公開。
★ゴダールの『勝手にしやがれ』は1959年の作品。
中平康は終生、フランス映画への影響を自慢にしたが、実は誰も信じていなかった。
実際にその真実をトリュフォー監督から聞いたのは映画評論家の白井佳夫さん。
文春文庫『裕次郎とその時代』〜『「狂った果実」がフランス映画を変えた』に書いている。

★「裕ちゃんブーム」と「太陽族ブーム」のすさまじさはあの時代を生きていないと解りにくいかも知れない。

僕は1957年に東京の向島という所へ預けられたんだけど、一番近くの映画館が歩いて4分の「向島金美館」。
特飲街「鳩の街」の入り口近くにあって、多くは松竹映画の4番館的な扱いで、いつ行っても客は10人を割っていたんだけど、東京に出てまもなくの6月に公開から1年遅れで『太陽の季節』と『狂った果実』が2本立てでレイトショー上映された。
梅雨なのに幸い天気に恵まれた、その、ひと夜限りの興業に映画館近辺は黒山の人だかり。
館内に入ったらもう身動きも出来ないほどの超満員で、僕は一番後ろの壁に背中を付けたまま立ち見した。
『太陽の季節』には何も感じなかったけど(怖いことに僕はもう原作を読んでいて、長門裕之がまったくイメージと違った)、2本目に上映された『狂った果実』のラストシーンにはショックで言葉を失った。

あらゆる意味で映画や読み物に対する概念が変わった瞬間だった。
まあ、たかが中学生なので、どれくらいの理解度だったのかは今となっては解らないんだけど…。
夏休みを終えて向島に戻ると金美館は日活の封切館になっていて、裕ちゃん映画とアキラの渡り鳥で連日好調な入りを見せ始めた。

ちなみに裕ちゃんはアクション映画より文芸作品の方が入りが良く、小林旭も渡り鳥より『絶唱』のような文芸作品の方が断然似合っていた。
そういう意味では不思議なアクションスターと呼ぶべき二人なんだけど、映画自体の入りはいつも良かった。

街には「不良」(というより、向島には有名な組織暴力団があったので、子供たちは「不良少年」より「非行少年」の方が多く、「少年」よりは「少女」の方が多いくらいに思えた)がたむろするようになって、向島にも喫茶店が出来、何故か一日中繁盛していた。
僕の通う中学校は劣悪な環境の中で何故かナンバー・スクールに行く者が多い学校だったけど、1週間に35人くらいがその喫茶店で補導されてて、「まあ、太陽族が流行ってからと言うモノは!」という言葉を聞いたこともある。

『平凡』と『明星』の折り込み付録は裕ちゃんのポスターが多く、襖の破れをそのポスターで隠していたら、目を覚ますたび裕ちゃんが笑いかけてくるので、僕はいつの間にか錦・千代映画と併行して裕ちゃん映画を見るようになっていた。

映画が最も元気な時代でした。
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2008年05月16日

5月16日 今日のスター

傑作!芸能ドキュメント〜『デブラ・ウインガーを探して』

1955年の今日5月16日に生まれたのがアメリカ女優デブラ・ウインガー。
彼女は25歳の時、ジョン・トラボルタとの『アーバン・カウボーイ』で評判になると、27歳で『愛と青春の旅だち』、翌年も『愛と追憶の日々』でアカデミー賞主演女優賞にノミネート。
一躍、売れっ子になって、38歳でも『永遠の愛に生きて』で三度ノミネートを受けています。
けれど、アカデミー賞の最短距離にいる女優と呼ばれていた40歳の時、突然、休業してしまい、映画界を驚かせました。
2001年に同業のロザンナ・アークエットが『デボラ・ウインガーを探して』という映画界の内幕ドキュメントを撮りましたが、浮き彫りにされたのは「円熟期に入っているのに必要とされない40代女優の悩み」でした。
この中である女優は「ジーン・ハックマン、アル・パチーノ、ショーン・コネリーに匹敵する女優」として「『アリスの恋』のエレン・バースティン。予備軍がスーザン・サランドンとメリル・ストリープ」と興味深い格付けをしてます。
デブラ・ウインガーはこのドキュメントから仕事に復帰して、今週53歳となります。

【MEMO】
『デブラ・ウインガーを探して』Searching for Debra Winger ('02)
監督:ロザンナ・アークェット
出演:アメリカの40代売れっ子中堅女優

★デブラ・ウィンガー Debra Winger
1955年5月16日生。53歳。
『ワンダーウーマン』('76〜'77)の妹役でテレビで売り出し、ジョン・トラボルタの『アーバン・カウボーイ』('80)で頭角を顕した。
『愛と青春の旅だち』('82)と『愛と追憶の日々』('83)でアカデミー主演女優賞に連続ノミネート。久々の演技派美人女優と騒がれた。
以後10年はまずまずの活躍。
が、『永遠の愛に生きて』('93)の後はキャリアに役が追いついてこず一時引退。大学の講師になって6年ほど休業したのち復帰した。
★ドキュメント映画『デボラ・ウインガーを探して』は02年のカンヌ映画祭で評判になって、現在は一種のカルト・ムービー。
デブラ・クラスの中堅大物女優が数多くインタビューに答えていて、人気女優なればこそ語れるアメリカ映画界におけるキャスティングの内幕を暴露。映画ファンには興味を惹かれる題材が満載の面白い作品です。
※仕事に恵まれている男女優ベスト3はまさに納得の3人だと思いませんか!?
★彼女たちの憧れは『アリスの恋』('75)のような大人の女性映画。
主演のエレン・バースティン Ellen Barstynはこれでアカデミー賞主演女優賞を取り、後年、名門NYアクターズ・スタジオの学長になった。

★ロザンナ・アークエット Rosanna Arquette
1959年8月10日生。48歳。
『ベイビー・イッツ・ユー』('83)『マドンナのスーザンを探して』('85)
『グレート・ブルー』('88)で知られたが、あまりに個性的な役が多すぎて一時は「カルト映画の女王」と呼ばれていた。

★パトリシア・アークェット Patricia Arquette
1968年4月8日生。40歳。
ロザンナの妹。
『トゥルー・ロマンス』('93)や『エド・ウッド』('95)で知られる面白い女優。顔も個性も似ているのだが妹の方が線が太い。
現在TVシリーズ『ミディアム 霊能者アリソン・デュボワ』に主演して日本でもよく知られている。
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2008年05月15日

5月15日 今日の雑学

"汽笛一聲新橋を"〜2説ある発売日

1900年(明治33年)の今日発売されて大ベストセラーになったのが、「汽笛一聲新橋を…」で知られる『鐵道唱歌第一集 東海道篇』。
新橋・神戸間の地理や歴史、名物や伝説まで折り込んだ32頁66コーラスに及ぶ歌の本で「地理の勉強になる」と大評判をとりました。
その後の半年間に第5集までが立て続けに出版されて、本州の各線があらかた歌い込まれてしまう程の人気でしたが、曲まで知られているのは今では第1集だけ。
第1集は大和田建樹(たけき)の詞に上真行(うえ・さねみち)と多梅稚(おおの・うめわか)の二人が別々のメロディをつけて二倍の宣伝効果を狙いました。しかし、人口に膾炙したのは多梅稚の作品だけでした。
ちなみに当時、新橋・神戸間は急行で17時間22分、現在は新幹線と快速で3時間と5分。『鉄道唱歌』の全コーラスを歌い終わらない内に着いてしまいそうです。

【MEMO】
★大本は1896年、横江鐵石作詞の『汽車の旅』のヒット。
その中に既に「汽笛一聲新橋を…」の一節があります。
★出版は5月15日説と『日本全史』(講談社)のように5月10日説を採るものとがあります。
高取武著『歌でつづる鉄道百年』は奥付が5月10日となっていると記してあります。
★『鉄道唱歌第一集』の詩については諸説があり、書生の持ち込んだ詩を大和田が手直ししただけ、と堀内敬三が言っていた、とするものもあります。
まあ、お弟子さんが書いたモノを師匠が手直しするのなんて珍しくもない話なので、問題はそれが大ヒットしてしまった場合だけ。この場合がそれに当たるけど、だからどうしろと言うのか、という話でもあるな。
★上真行(うえ・さねつら)の読み(『歌でつづる鉄道百年』高取武著)や「かみ・さねみち」の読みもあったが、最近は「うえ・さねみち」が一般的なようですね。
※「奥付」に関しては信用したのに、「人物名」で高取さんを信用しないというのも卑怯なんですけどね。
★『鉄道唱歌第一集』について調べた時はのぞみで東京〜新大阪が150分
東海道・山陽本線快速 新大阪〜神戸が35分で都合3時間5分
乗り継ぎ時間を入れても所要時間は3時間21分だったのだが、鉄道ファンの方が計算してくれると嬉しいな。
★「国鉄」から「JR」に変わる時の特番で斎藤晴彦さんに『鉄道唱歌第一集』をフルコーラス歌って貰ったが、番組が終了するまでには歌い終わらなかったような記憶がある。
まあ、この特番、途中で降ろされたので真面目に見てないので、記憶はやや曖昧だが…。
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2008年05月14日

5月14日 今日のスター

ボビー・ダーリン〜「神話」になった歌手

名優ケビン・スペイシーによって『ビヨン・ザ・シー/夢見るように歌えば』という映画まで作られたアメリカの歌手、ボビー・ダーリン。
彼が生まれたのが1936年の今日5月14日のことです。
彼がヒットさせた『マック・ザ・ナイフ』(日本語タイトル『匕首マッキー』)はドイツの戯曲作家ブレヒトと作曲家クルト・ヴァイルが舞台『三文オペラ』のために書いた芝居歌でした。
これが全米チャートのナンバー1を9週突っ走るという超特大のヒットとなったのは1959年(日本では昭和34年)の10月で、ボビー・ダーリン、わずか23歳の時。
幼い頃、リウマチ熱で心臓をやられ、自分は30歳までしか生きられない。だから25歳で神話になるんだ、と言っていた少年の夢は予定より2年も早く実現してしまいました。
2つのグラミー賞とベストテン・ヒットが10曲。
映画『ニューマンという男』ではアカデミー助演男優賞の候補。
60年代のポップスシーンを風のように駆け抜けて1973年12月20日、その短い生涯を閉じました。
その享年は彼自身の予想より7年長い37歳でした。

【MEMO】
★ボビー・ダーリン Bobby Darin
1936年5月14日〜1973年12月20日没。37歳。
★58年の『クイーン・オブ・ザ・ホップ』が全米9位となり、以後、『スプリッシュ・スプラッシュ』('58/3位)、『ドリーム・ラバー』('59/2位)と来て、『マック・ザ・ナイフ』('59/売り上げ200万枚)で1位。『ビヨンド・ザ・シー』('60)の6位、『You Must Have Been A Beautiful Baby』('61/5位)『Things』('62/3位)『Eighteen Yellow Roses』('63/10位) 『You're The Reason I'm Living』('63/3位)、そして66年の『イフ・アイ・ワー・ア・カーペンター』8位まで10曲。
★ヒットチャートへの最後の登場は1969年の『Long Line Rider』でPop Singles部門の最高位79位。
★映画は『ペペ』('60)『九月になれば』('61)『電話にご用心』『ステート・フェア』('62)『ニューマンという男』('63)『おかしな気持ち』('65)『早射ちガンマン』('66)に出演。以降'73年まで何本かあるようですが日本では公開されていない。
★63年のグレゴリー・ペック主演『ニューマンという男』でアカデミー賞助演男優賞にノミネートされている。
ただし、このノミネートは日本では歯牙にもかけられず、キネ旬の『俳優名鑑』では候補になったことすら記載されていない。

★60年、サンドラ・ディーと結婚。67年離婚。一男ドッド・ミッチェル・カッソートがいる。
★サンドラ・ディーとは『九月になれば』の共演をきっかけに結婚したが、当時のサンドラはティーン雑誌の人気少女モデル。59年の映画『避暑地の出来事』の大ヒットで知られた清純派だったから、この結婚はいかにも早すぎた。
★結婚後の61年にはデビー・レイノルズでヒットした『タミー』シリーズがリメイクされたが、日本ではデビー版もサンディ版も多分未公開だと思う。まったく記憶にない。
★63年には芸能界のサラブレッド、ピーター・フォンダを相手役にした『タミーとドクター』が大宣伝で封切られたが、サンドラ・ディーではもう客が呼べなかった。
★のちにミュージカル『グリース』の中でネンネの清純派をからかう歌として『私はサンドラ・ディー』というナンバーが歌われているほどで、サンディーの清純ぶりは時代の感覚から一番遠かった。
結婚はイメージ・チェンジのチャンスだったはずだが、その機会を逃したばかりか、二人にとってイメージ的に得なことは何もなく、二人は時代から忘れられていったのだった、と記憶する。
★ボビーの死は2人目の妻アンドレア・ジョイ・イェーガーと結婚してわずか6ヶ月後のことでした。

★今となっては「伝説の人」なので、日本のポップス・ファンは誰もがみんな彼のことを知っていたかのように思われているが、ボビー・ダーリン、日本ではそれほどの人気者ではなかったと思う。
何曲かのヒット曲には馴染みがあるが、少なくとも歌手別リクエスト番組で彼自身がベスト10にランクされるようなことはなかった。
★今、彼のベスト盤を聴いても、歌った歌のジャンルが多岐にわたっていて、ジャズ歌手なのかロカビリー歌手なのか単純にポップス歌手なのか、区分けしにくい。
ラジオが徐々に音楽をジャンル分けし始めた時代だったから、どの番組にピタリと嵌るのか分かり難く、掛けづらい歌手だったと思う。
★たとえば62年ビルボード第3位のビッグ・ヒット『Things』も、僕らはパット・ブーンのカバー『初恋の並木道』の方で知っているといった具合。
つまり、彼のレコードはアメリカでは高い評価を得ているにもかかわらず、日本ではあまりかからなかった。というか、その「高い評価」そのものがラジオで語られることがなかった。
★当時のティーン向け音楽雑誌『ミュージックライフ』でも彼のことはそんなに語られていなかったような…。覚えがほとんどないんだもの。

★ちなみに『アメリカン・アイドル』シーズン6の「アメリカン・スタンダードを歌う」で『マック・ザ・ナイフ』を見事に歌いこなしてみせたのがこのシーズンの準優勝者ブレイク・ルイス Blake Lewisだ。
前の回の『イギリスの60'sを歌う』でゾンビーズの『ふたりのシーズン』、この回の『アメリカン・スタンダードを歌う』でボビー・ダーリンの『マイク・ザ・ナイフ』をスタイリッシュに決めてみせて、TOP3入りの可能性を印象づけた。
その歌いっぷりは今でも即座に思い出せるほど鮮やかなパフォーマンスだった。
おお、またブレイクの宣伝をしてやれたゼ。

★『ビヨンド・ザ・シー/夢見るように歌えば』Beyond the Sea ('04)
監督・脚本:ケヴィン・スペイシー
脚本:ルイス・コリック
出演:ケヴィン・スペイシー/ケイト・ボスワース/ジヨン・グッドマン
    ボブ・ホスキンズ/ブレンダ・ブレッシン/グレッタ・スカッキ
    ピーター・シンコッティ/ウィリアム・ウーリッチ
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2008年05月13日

5月13日 今日のエライ人

イギリスの捨てゴマ〜アラビアのロレンス

1935年5月13日、オートバイで走行中に瀕死の大事故を起こしたその人の名はT・E・ロレンス。英国軍人、別名を「アラビアのロレンス」として知られた人物でした。
ロレンスには形容詞が沢山あって、「ダマスカスの解放者」「アカバの英雄」「無冠の帝王」「帝王製造者」「ダイナマイトの王子」「破壊者」などなど。これらはすべて第一次大戦でオスマン帝国に戦いを挑むアラブ反乱軍の指揮を取った時のロレンスについて語られた言葉です。
奇襲に次ぐ奇襲作戦でオスマン帝国軍を破って英雄になったロレンスは一旦職を辞して、今度は名前を変えて二等兵としてイギリス軍に勤務しました。
事故は除隊後間もなく起きました。
蜂に刺されたとも、そばに黒塗りのリムジンがいたとも言われていましたが、現在では二人の少年の自転車をよけるため、ハンドルを切り損ねたということで落ち着いています。
謎の多い人物は6日後、わずか46歳の生涯を閉じています。

【MEMO】
★T.E.ロレンス Thomas Edward Lawrence
英国軍人。『アラビアのロレンス』として知られた人。
1888年8月15日〜1935年5月19日没。46歳。
実際にはアイルランドの准男爵家の跡取りです。
★考古学者兼探検家の肩書きもありました。
作戦成功後の毀誉褒貶が激しく悩んだ末、最下級兵として復帰したと言われています。
★謎の多い人物の謎の死はデビッド・リーン監督の映画でかなり克明に、しかも忠実に描かれています。すぐに『知恵の七柱』なんて新書本を僕に買わせたのだから映画とは凄いモノだと思いました。
★リーン監督はロレンスを非英雄として扱い、植民地支配を企むイギリスから使い捨てられた考古学者として描いている。
こういう大スペクタクル映画でもそういうことが描けるんだねぇ、この人はとても腕のある監督なんだろうね。
見ながら思ったのはそういうことで、初めて、監督の存在に思いをいたした作品だった。
洋画を見始めて間もなくの小僧っ子にそんなことを思わせたのだから、「超一級」の人は誰にも判るほど「超一級」なんですね、きっと。
★砂が描いて行く絵のようなはかない人生をロレンス像に重ね合わせて僕はその美しさに酔った。この映画の砂はセクシーだった。

★『アラビアのロレンス』Lawrence of Arabia ('62)
※日本での封切りは'63年秋。
監督:ディヴィッド・リーン
音楽:モーリス・ジャール
撮影:フレディ・A・ヤング
出演:ピーター・オトゥール/アレック・ギネス
   アンソニー・クィン/ジャック・ホウキンス
   オマー・シャリフ/ホセ・フェラー/アンソニー・クエイル
   アーサー・ケネディ

★この作品は1962年度アカデミー賞で「作品」「監督」「カラー撮影」「カラー美術監督」「サウンド」「編集」「作曲」の7賞を獲得。
「主演=オトゥール」「助演=シャリフ」「脚色=ロバート・ボルト」は落とした。

★この年フランス映画の『シベールの日曜日』(監督:セルジュ・ブールギニヨン)が外国語映画賞を受賞しているが、この音楽がモーリス・ジャール。
この映画を見たFOXの社長が『史上最大の作戦』と『アラビアのロレンス』の音楽に抜擢したため、ジャールの担当した3本が賞レースに並んだ。デビュー10年目のジャールはこうして一躍世界の檜舞台に躍り出た。

★東京では帝国劇場でロードショーされたがパンフレットがあまりに豪華な作りだったのに度肝を抜かれた。今見ると紙質なんかはそれほど良くはないんだけどねェ。
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2008年05月12日

5月12日 今日のスター

エミリオ・エステベス〜『ブレックファスト・クラブ』は大傑作だ!

1963年の今日5月12日に生まれたのがエミリオ・エステベス。
父が映画『地獄の黙示録』テレビ『ホワイトハウス』で知られるマーティン・シーン。
弟が『ウォール街』『ホットショット』のチャーリー・シーン。その下の二人の弟妹も俳優という芸能一家の長男です。
この人の魅力は集団の中でひときわ輝く個性。目を引く上手さ。
集団の中でなら弱点であるはずの背の低さ(168cm)も個性に転化することを知っている頭の良い役選びに才能のすべてが集約されています。
早くから監督業にも進出していて、2006年の話題作『ボビー』は演技者として得意にしてきた群像劇を演出家としても巧みに捌ききってその力量を世界に知らしめました。
俳優としての代表作は「勝てない、打てない、滑れない」という弱小少年ホッケー・チームのコーチになって、彼らとともに成長して行く冷血弁護士を描いた『マイティ・ダック』シリーズ。
でも、僕は彼の出演作の中ではあらゆる意味でハイスクール映画の大傑作といえる『ブレックファスト・クラブ』が好きです。

【MEMO】
エミリオ・エステベス Emilio Estevez
1963年5月12日生。45歳。

★共演者から信頼される俳優として有名だったが、芸能一家の「長男」資質、「兄」的資質が大きく関与しているのだとおもう。
短い期間だが、大人気歌手だったポーラ・アブドゥルと結婚していた。
ポーラは現在TV『アメリカン・アイドル』の人気審査員である。
★『ブレックファスト・クラブ』は問題児として土曜日登校を命じられた高校生たちのある一日を描いた物語。
友達を持たなかった5人の高校生がひとつの教室で反目し、逆らい、語り、泣き、大麻を吸う内、少しずつ心を開き、互いが寄り合って行く静かな感動作。
ここでもエミリオはリーダー的な存在感を示していて上手い。
というより、この映画の他の4人も当時話題の若手スター。全員が見事に役を掴まえていて感心する出来。
マリファナを吸うシーン以外はそのまま日本に置き換えられる設定で舞台化すれば見事な一幕ものとなるはず。
若手俳優を5人一遍に一人前に成長させられる作品だ、と前から言ってるんだけど気にもしてもらえないのが残念だ。オレ、もう、影響力がないからナ。

★『ブレックファスト・クラブ』The Breakfast Club ('85)
監督:ジョン・ヒューズ
出演:エミリオ・エステベス/ジャド・ネルソン/マイケル・アンソニー・ホール/モリー・リングウォルド/アリー・シーディー

★マイティ・ダック・シリーズ
『飛べないアヒル』The Mighty Ducks ('92)
『D2/マイティ・ダック』D2: The Mighty Ducks ('94)
『D3/マイティ・ダックス』D3: The Mighty Ducks ('96)

★『THE WAR/戦場の記憶』The War at Home ('96)
監督&出演作。
共演:キャシー・ベイツ/マーチン・シーン

★『ボビー』Bobby ('06) 監督&出演作
キャストはオールスター

★父親のマーチン・シーンも背が低い。
シシー・スペイセック共演の『地獄の逃避行』('74 多分、日本ではテレビで放送されただけ)という傑作があったが、アメリカでもあまり気にとめられず『地獄の黙示録』('79)で突然、世界的な知名度となった。
元々リベラルな俳優として有名でテレビではケネディ大統領、その弟ロバート・ケネディなどを演じていたが99年にスタートしたTVシリーズ『ホワイトハウス』でパートレット大統領を演じて2度目の大当たりを取った。

★弟のチャーリー・シーンは180cmと恵まれた体躯で二枚目。
戦争映画の問題作『プラトーン』('86)で主役デビューして世界をアッと言わせ、一躍スターになった。
単なる「七光り」と思われたが案外な演技力で『ウォール街』('87)『ヤングガン』ビデオのみだったが『エイトメン・アウト』('88)クリント・イーストウッドの相手役『ルーキー』('90)までは順調に見えた。
が『ホット・ショット』('91)が全編パロディのコメディー映画。ハンサムぶりが逆におバカ映画に妙にハマってしまったことが命取りになって、あとは何をやってもコメディにしか見えなくなってしまった。
お得感の無いスターになってしまったが、日本ではCMでもて囃されたのがちょうどこの頃。二枚目過ぎて裏目に出た典型スターだった。
おまけにこの頃からハリウッドの高級コールガールの最上客だったことが、後に暴かれて、人気も実績もすべて失ってしまった。
さらに当時の婚約者がHIV検査を受けたことでマイナス・イメージが加速的に加わって、再起は無理と見られたが、芸能界のサラブレッドは腐っても鯛。
2003年スタートのTVシリーズ『Two and a Half Men』でコメディ俳優として人気に火がついたそうで(なぜなら日本ではまだ放映されていないので、全貌は見えない)、去年あたりは全米のTVファンが選ぶコメディ俳優の人気投票で3位にランクされ、再びスターの座に返り咲いたという。
ここンチはつくづく運が強い一家なんだなぁ、と思う。
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2008年05月11日

5月11日 今日の雑学

『王様と私』に秘められた物語〜ワケありアンナ先生

名作ミュージカル『王様と私』の舞台として知られる国「シャム」は1939年に「タイ」と国名を変え、45年に再び「シャム」に戻り、賛否両論、落ち着かぬまま、1949年の今日5月11日にまたまた「タイ」と変わって現在に至っています。
なので、「アンナ先生」こと、イギリス人女性教師アンナ・レオノーウェンズの回顧録を最初に映画化した時、日本語タイトルが『アンナとシャム王』だったのは頷けます。
さて、映画の中のアンナはイギリスの貴婦人。でも、本当のアンナはインド生まれの貧しいイギリス娘でした。
自分の足跡を消すためにシンガポールに渡り、若死にした夫が勝手な苗字を作り出していたのを利用して、彼女も別人格となって教職に就きます。
運良く、時のシャム王ラーマW世に雇われて、彼の子供67人に教育を施したのは本当らしいんですが、自伝としては虚実入り交じった記録とされています。
とはいえ、東西の文化が初めて出会った感動物語だったことには相違なく、夫を亡くして子育てに必死だった女性が異文化国家で演じた人生の一発逆転劇、と捉えるとまた別の感慨があるような気がします。

【MEMO】
★『王様と私』には4本の映画と、1本のミュージカル、そしてTVシリーズがあります。
ちなみに、この【MEMO】の話のもとはTVドキュメント『実録アンナと王様』からです。
★アンナ・レオノーウェンズ Anna Leonowens
1831年11月6日〜1915年1月19日没。83歳。
出生名はアンナ・エドワーズ。夫はトーマス・レオン・オーウェンズ。
夫はミドルネームとラストネームを合体させて苗字にしてしまった訳です。
★アンナの書いた原作はお妾さんたちの死刑の話を加えたことで西洋には大層ショッキングな話として伝わりました。
それが原作を有名にした一因でもあるようなのですが、どうやら脚色された話だといわれています。
彼女自身も年齢を3歳ごまかしているようです。
★彼女の出自がバレてしまったのは姉の孫が俳優(世界一有名なフランケンシュタイン俳優)ボリス・カーロフだったこと。
その家系図からアンナの嘘が明るみに出てしまいました。
★アンナは人生の最後をカナダで送り、そこで、婦人参政権論者として有名になってから亡くなっています。
すべては生きて行くための術。
知恵と気骨が傑出した女性だったのだと思いたい。

★『アンナとシャム王』Anna and the King of Siam ('46)
監督:ジョン・クロムウェル
出演:アイリーン・ダン/レックス・ハリスン/リンダ・ダーネル

★『王様と私』The King and I ('56)
監督:ウォルター・ラング
音楽:リチャード・ロジャース&オスカー・ハマースタインU世
出演:デボラ・カー/ユル・ブリナー/リタ・モレノ

★Anna and the King('72/TVシリーズ)
出演:サマンサ・エッガー/ユル・ブリナー

★アニメ『王様と私』The King and I ('99)
監督:リチャード・リッチ
出演(声):ミランダ・リチャードソン/クリスチャン・ノール

★『アンナと王様』Anna and the King ('99)
監督:アンディ・テナント
出演:ジョディ・フォスター/チョウ・ユン・ファ/ベイ・リン
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2008年05月10日

5月10日 今日の雑学

旧国鉄、グリーン車を導入〜鉄道の記念日のたび、登場する名前

1969年5月10日、旧国鉄が客車の等級制を廃止して、かわりにグリーン車を導入しました。
こうした鉄道の記念日にしばしば話題になるのが「日本で初めて鉄道に乗った人物は誰か」、なんですが、これはジョン万次郎という説で一致しています。
土佐の漁師だった万次郎は1841年(天保12年)14歳の時、カツオ漁に出て遭難。伊豆の鳥島でアメリカの捕鯨船ジョン・ホーランド号に救助されました。
船の名にちなんでジョン・マンと呼ばれて可愛がられ、アメリカに10年滞在。その時「レイロオに乗った」と書いております。「レイロオ」すなわち「レイルロード」「鉄道」です。
マサチューセッツの学校を優秀な成績で出た後、捕鯨船に乗りました。
やがて、ゴールドラッシュのカリフォルニアで儲けたお金で船を買い、1851年、日本に帰り着きました。
帰国後は土佐藩に取り立てられて通訳として活躍。
英語教師など務めた後、明治31年71歳で亡くなっています。

★ジョン万次郎 中浜浦の万次郎からのち中浜万次郎 1827年1月27日〜1898年11月12日没。71歳。
★鳥島で143日、無人島暮らし。その利発さが米国船員に愛されたという。一緒に遭難した大人たちはハワイで降ろされたが万次郎は船長について米本土に渡り、教育も施された。
ちなみに『鉄道見聞録』は詳細な記述がなされているらしい。
★2000年(平成12年)にアメリカの古書店で万次郎を救出したジョン・ホーランド号の乗組員ライマン・ホームズの航海日記がみつかった。その中には救出された時の様子や船での生活が活写されており、万次郎研究の貴重な資料となった。
★1850年12月27日にホノルルを出発。(船名は「アドベンチャー号」)。翌51年(嘉永4)1月3日、沖縄の摩文仁海岸(糸満市)に漂着した後、当然のことながら長い取り調べを受け、二年後、運良く土佐に帰った。
★坂本龍馬に多大な影響を与え、日米修好通商条約では通訳と勝海舟をサポートして実質上の指揮官を務め、帰って開成学校の英語教師。プロイセン・フランス戦争では視察のためヨーロッパに出向いたが、帰国後、官途を辞した。
★本物の英語を話すため、士族出の教師たちの嫉妬を浴び、様々な局面で大事な仕事から外されたりした。
★子供の時に正しい読み書きを学んでいないので、英語を文章化することが出来ないことがネックになったとも…。
★NHKの幕末を扱う大河ドラマもこの人あたりを主人公に据えると相当斬新な物が出来ると思うけどナァ。
日本人が勇気を持てる素材なんじゃないかなぁ…。日本に帰ってからのエピソードでは日本人の卑小さが目についちゃうけどサ。
★この人の話に触れるたび、連想的に思い出してしまう映画がある。

『海嶺』('83)
原作:三浦綾子 監督:貞永方久
出演:西郷輝彦/竹下景子/井上純一/松本秀人/ ジョニー・キャッシュ
★ジョン万次郎と同じような運命をたどりながら、ラストだけが全く違う。
つまり、名を成すことになった幸運な人生と、名もなき若者として生を終えた悲運の人生。

同時に
★『おろしや国酔夢譚』('92)
原作:井上靖 監督:佐藤純彌
出演:緒形拳/西田敏行/川谷拓三/三谷昇/沖田浩之/江守徹
の大黒屋光太夫も思い出しますけど、ロシアは楽しめないワ。
親父の抑留されていた所、というイメージは拭いがたく心の奥にあるな、どうしても。
posted by レドンドの風 at 03:56| Comment(1) | TrackBack(0) | 映画

2008年05月09日

5月9日 今日の歌

なんたって『小さな恋のメロディ』〜『若葉の頃』だもんサ!

まさしく新緑。
「若葉の頃」といえばビー・ジーズ (Bee Gees) が主題歌を歌った映画『小さな恋のメロディ』を語り出さずにはいられません。
メロディとダニエル、11歳の初恋ファンタジーは、1971年、何故か日本の少年少女の心だけを虜にしました。
主題歌『メロディ・フェア』(日本語タイトル『小さな恋のメロディ』)はラジオリクエストで10週連続第1位の大ヒット。その後も何度かリバイバルされて、映画もその主題曲も日本でだけ有名な珍しい作品として今も記憶され続けています。

【MEMO】
『小さな恋のメロディ』
監督:ワリス・フセイン
主演:マーク・レスター トレイシー・ハイド ジャック・ワイルド

★脚本がアラン・パーカーということでも記憶される作品。
アラン・パーカーは次の『ダウンタウン物語』で監督に昇進して、まだ少女だったジョディ・フォスターに禁酒法時代のミュージカルをやらせて評判となり、以後、
『ミッドナイト・エクスプレス』('78)…僕の中では傑作だ。
『フェーム』('80)…大好きだ。
『ミシシッピー・バーニング』('88)
『愛と哀しみの旅路』('90)…初めてメジャー作品が第2次大戦時のアメリカにおける日本人強制収容所の存在について描いた勇気ある映画。
『ザ・コミットメンツ』('91)…ダブリン・ロックを作ろうと奮闘する青年たちの、なんだかイカした映画。
『エビータ』('96)…非常に良くできた音楽映画。
まで売れ続けました。
しかし、『ライフ・オブ・デビッド・ゲイル』('03)のあと、新作がありません。
この監督はヒット作も少なくはなく、人気があるにもかかわらず、日本の評論家たちには何故か評価が低く、『厳選外国映画監督名鑑』みたいなモノからは外れていることがあります。
僕はそんなに人と見ている部分が違うんだろうか?

★ビー・ジーズが『若葉の頃』『メロディ・フェア』など5曲、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングが『ティーチ・ユア・チルドレン』、他に演奏曲が6曲のサントラ盤が有名。
美しいメロディとハーモニーの調和がセールスポイントだった初期ビー・ジーズの魅力が全編に溢れているレコードです。
★シングル盤は1971年(昭和46年6.10.発売)『オリコン』では最高位3位、売り上げ45.4万枚を記録しています。
この記録は映画『サタデー・ナイト・フィーバー』に日本中が湧いた1978年のシングル・カットである『ステインアライブ』(32万枚)『恋のナイトフィーバー』(25万枚)を大きく上回っていて、『小さな恋のメロディ』のヒットの凄さを伺わせます。
★'78年のビー・ジーズ旋風は特にアメリカですさまじく、映画『サタデー・ナイト・フィーバー』のサウンドトラックからの第1弾シングル『愛はきらめきの中で』('77.12.24〜3週間)で始まり、3週間トップの座は譲ったものの『ステイン・アライブ』('78.2.4〜4週間)でまたトップに立つと、彼らの弟のアンディ・ギブが『愛の面影』('78.3.4〜2週間)で続いてトップに立ち、その翌週からまたビー・ジーズの『ナイトフィーバー』('78.3.18〜8週間)もトップに立ち、と、この年はビー・ジーズ・イヤーと言えるほどでした。
★しかし、世界的にはまったく無印の『メロディ・フェア』の方がこの最絶頂期のビー・ジーズを凌ぐ、あるいは匹敵する売れ行きだったことになるんですから、全く驚きです。
★ちなみに『メロディ・フェア』が日本で大ヒットになっている頃、ビー・ジーズにはアメリカで初のナンバー1ヒット『傷心の日々』('71.8.7〜4週間)が出ています。
勿論、日本では『傷心の日々』は全く無視されて、ヒット・シングルの記録上には全くその痕跡を残していません。
そもそもシングル盤そのものが作られたのでしょうか?
★とはいえ、結果としては日本人が愛した『小さな恋のメロディ』は映画も主題歌も世界的にはまったく評価されず、その前にもあとにも主題歌『メロディ・フェア』がどこかの国で評判になった形跡はありません。
それは日本の少年少女には世界に誇り得る独特な感性がある、ということかもしれなくて、僕はこの記録を面白いと思いますし、記録を見ていつも思わずニンマリしてしまいます。
バイオグラフィ・フェチと呼んでくれぃ。
★ちなみにビー・ジーズはアメリカではビートルズ、プレスリー、シュープリームスに次ぐナンバー1ヒット(9曲)を誇っています。
★主演のマーク・レスターとトレーシー・ハイドは日本の映画雑誌でのみ人気者で何年も人気投票の1位にランクされ、授賞式に何年か連続でやってきました。
当時、まだ仕事のあったマークはともかく、出演作が続かないトレイシーがインタビューに答えているのは可哀想でした。
名子役だったマークは鍼灸師になりましたが、OLになったトレイシーのその後は定かではありません。
あんなに日本人を楽しませてくれたんだもの。君も幸せになってくれていると良いがなぁ、と心から思います。
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2008年05月08日

5月8日 昨日のテレビ

脱落者のために初めて泣いた〜マイケル脱落『アメリカン・アイドル』

『アメリカン・アイドル』シーズン7の#30を見逃していたのだが、昨日の再放送でやっと見た。
Top8から1人脱落するのだが、それがまさかのマイケル・ジョーンズとは!
歌そのものにはよく泣く僕だけど、脱落者のために初めて涙を流したよ。
何故って、僕が肩入れするどの番組の競技者もこんなに早くは脱落しない。
「あらゆる意味で無冠」の4位か、「すべての敗者の代表」である2位になる人にしか気が行かないタチの僕にとっては、4位まで齣を進めたら、まあ、納得なので、これまで「落ちた」という結果について涙を流したことはなかった。
つまり予想は滅多に外れたことがなかった。

実は今シーズンは以前から書いているようになんだか気の乗らないシーズンだった。
全米予選の段階で、気に入った素材にぶつからない、予想がつかない、気が行かない、の連続だった。なんか違和感がつきまとっていた。
だが、何週間か前から僕は、この青年、マイケル・ジョーンズに肩入れし始めていた。
審査員はしばしば彼の「選曲」ミスを指摘していたが、ミスは選曲ではない。「アレンジ」だ。
この青年はアレンジがヘタなのだ。
歌いたい曲の美味しいところだけつまんできてしまうので、曲が山場ばかりになってしまう。全編が聴かせどころになってしまって、力んでいる感じに聞こえてしまいがちだった。「絶叫」が多かったが、聴きにくい歌い方ではないので、そんなには気にはならなかった。
まあ、アレンジがヘタ、というのも力量の内なので、結果は認めなければならないと思うのだが、では彼は歌がヘタなのか、という問題だ。
まあ、ヘタでも生き残り、上手くても落ちるのはどのシーズンでもあったことだが、この青年の落選は早すぎないか?
この青年はTop8の中では上から数えてかなり上位に来る上手さで、ここで落としてはツマランだろ、という競技者だ。

僕のサイト内の『本日の店主』というページが全部吹っ飛んでしまったので自分でも確かめる術がないのだが、前シーズンのTop3が決まった頃に危惧したこと、予想したことがどうも現実になっている。

昨シーズンはブレイク・ルイスの2位はTop10が出揃った段階で定位置になっていたと思うが、1位と3位がジョーダン・スパークスとメリンダ・ドゥーリットルの争いになった。
全米はメリンダの優勢を信じて疑わなかったが、僕はジョーダンの快進撃に脅威を感じていた。
ティーンの支持次第でメリンダとジョーダンの位置がひっくり返ると予想した。
パフォーマンスが絶望的な週でもサンジャイヤ・マラカーというインド系美少年が勝ち残っていたことが昨シーズンを象徴していた。
その前のシーズンにテイラー・ヒックスという歌は上手いが、どこにも面白味のない青年が優勝してしまった時、アメリカの少年少女たちは、「ここには自分たちのアイドルがいない」と感じたと思う。
昨シーズンはその余波でサンジャイヤがサイモンに意地悪され尽くしているのに7位まで勝ち進んでしまった。
全米の10代は自分たちの納得する、年齢の近いアイドルの誕生を望んだと思う。
その意味でサンジャイヤは辛かったと思う。
勝ち残っているのはもはや自分の意志ではなく、「われわれに本当のアイドルを」という全米ティーンの意志の反映だったからだ。

どう見ても気持ちの優しい「普通」の17歳を、サイモンがあそこまで苛め、いらだち、人間性まで否定したのは何故だろう? 
おそらく彼は意のままにならぬ全米の10代に苛立っていたのだろう。
何故かアメリカ人に対して優位に立っていると信じ込んでいるこのイギリス人は、善良な年端も行かない少年を苛め尽くすことで全米ティーンの心を頑なにさせてしまった。
今シーズンは10代の応募者が殺到するだろうと思った。
まあ、その通りになり、全部ふるいにかけられてやっとアーチュレッタ君一人になったわけだがね。

サンジャイヤが去った後の昨シーズン、ティーンたちは理不尽な思いを、ジョーダンへの肩入れ、という形で表現しようとし始めた。
かくして、サイモンのお気に入りだったメリンダは割を喰う。
そして自分たちの思いは実現する、と知ってしまったら、10代の欲求には際限がなくなる。
ティーンが投票者の中核を成し始めたら、大人の歌い手は得票しにくくなる。
危惧した通りのことが起き始めたのが今シーズンだ。
僕が一番最初に気にかけたマイケルの年齢が早くもネックになった。

マイケルは「年齢」を感じさせてしまった瞬間、危機に陥る、と僕はTop24が揃った時、感じた。
その意味ではずいぶん持ちこたえたと思う。
彼は最初からアレンジのミスをし続け、実は年齢を感じさせ続けた。
つまり、感覚の古さを露呈し続けた。

日本人は絶叫調が好きで、そこに上手さを感じてしまいがちだから、前シーズンのラキーシャや今シーズンのサイーシャが割合好きだと思う。
が、前シーズンのブレイク、今シーズンのジェイソン・カストロやブルック・ホワイトのように叫ばなくても充分に歌は聴かせることが出来る。
マイケルにもそれは出来たはずだと思う。だって彼は実際に上手いんだから。
だが、他の競技者より遙かに年齢の高い彼は絶叫することで安心したかったのだと思う。
絶叫するほどの力量を見せれば、ヘタには聞こえないだろうと思っていた、とも僕には思える。
そこが「上手さ」に関する感覚の「古さ」なのだけどね。

全米中に蔓延しているヒップホップ系音楽の脱力感。
『ビルボード』のTop10ヒットのどれにも漂う脱力感。
みんな上手いのだけど、今、アメリカのポップス音楽には聴くべき部分がとても少ないと思う。
日本の演歌の歌い手が「異常」に上手いのと似ている。
今の演歌はどの曲が誰の歌か、区別がつかないほどそっくりな楽曲ばかりだが、一頭地抜きん出るためには上手さが大事、とばかりにみんな、やたらに上手い。
アメリカがその状況と全く同じ。
僕はヒップホップにかなり嵌っているので、そんなに心地悪くはないのだが、ハッキリ判るのは、上手さばかりが目立つ時代は、あまりイイ音楽が生まれないということだ。

こんな音楽の時代ではあるけれど、この時代にアイドルを目指してしまう人間は、それなりに「今」感は持っていなければならない。
絶叫は「今」の感覚でないのだから、マイケルが落ちたのは当然なのだ、というところで僕は心を収めようと思う。

ゲストはジョーダン・スパークスとクリス・ブラウンで曲は『No Air』。
ライアンがクリスの名を先に呼んでいるのは本末転倒だと思うのだが、現在の力関係は如実に表れている。
番組的には先シーズンの優勝者ジョーダンをゲストに迎えているのだから、ジョーダンを持ち上げなければならないのだが、彼女とデュエットしているクリス・ブラウンは今週の『ビルボード』に『No Air』も含めて3曲ランクインさせている。
つまり、今、一番「旬」。

『No Air』はジョーダンの第1弾シングルだったが実は不発で『ビルボード』58位(たしか、ネ)止まりだった。
急遽出した第2弾が『Tatto』でこれが8位まで上がって、かなり長期間ベスト10に居残ってさすがの底力を感じさせた。
第3弾には『This Is My Now』をリリースしてこれが15位止まり。
ところが、ジョーダンのデュエット相手クリス・ブラウンが今年に入ってシングルを第2位に送り込んだ。
これまた、Top10キープが割合長く、その人気を当て込んでか、『No Air』が再プッシュ曲となったらしい。
急に5位まで上がったが、何週か前に少しランクダウンし始めていた。
ところが、多分、ここで『アメリカン・アイドル』へのゲスト出演が功を奏したのだろうと思う。
アメリカと日本の放送が3週ズレていることを考えると、まさしく「だろう」と思うのだが、今週、なんと3位にランクアップしている。
おまけにクリス・ブラウンは2位から下がってきた曲がTop10にいる内に次の曲も上がってきたから、今週は3曲がTop10に並んでいる。
これではジョーダンの扱いも小さくなろうというモノで、デュエットした曲もどちらかといえばクリス・ブラウンのパートに分があって、ジョーダン、意外に存在感が薄い。
ただし、ジョーダンのデビュー・アルバムはシングルになっていない、『フリーズ』や『シャイ・ボーイ』など彼女の力が充分に判る佳曲が他にもあって、このアルバムが50万枚ヒットを記録したと聞けば、当然、と僕などは思う。

ちなみにクリス・ブラウンのライブの模様がmsn.comで無料で流れていて、昨日の夕方、全ステージ見てしまったが、こやつはなかなかのアーチストだ。
歌が上手いのはもう驚かないがステージでの動きに切れがあって、見た目がとてもカッコ良い。
ステージ運びもセンスが良くてこりゃ、人気があるはずだワ。

そんなわけで『アイドル・ギブズ・バック』は60億円の募金があったらしい。
出場者たちの歌は番組のサイトからダウンロード出来て、そのお金が寄付に回るらしいのだが、多分、日本からはダウンロード出来ないと思う。
去年から今年にかけてブレイクが番組で歌った歌をダウンロードしようとカードのナンバーも伝えたのに「地域外です」「国が違います」の警告が出て、ダメだった。
仕方なくアメリカの銀行口座とあちらでのデビット・カードを入力したが、アクセスしてるのが違う国だと、機械が判断するんでしょうね。
同じ警告が出て、とうとうダウンロード出来なかった。
こんなに番組を楽しませて貰っているので、寄付するの全然イヤじゃないんだがナ。
融通の利かないこと!

まあ、番組は回を重ねてどんどん成熟して行っても、ティーネージャーを視聴者の中心に持ってしまうとなかなか成熟には到らないから、この番組の目指すところはちょっと遠くなったかもネ。
真に上手い成熟した歌い手はこの番組からは生まれにくくなったと思うね。

ちなみに前シーズン9位だったと思うがマシュマロ・マンのクリス・スライもデビューしたね。
彼のアルバムは現在、買おうかどうか迷っているんだけど、昨日、前シーズン6位のフィル・ステイシー、その前のシーズン3位のエリオット・ヤミン、7位か8位だったバッキー・コビントンのそれぞれデビュー・アルバムを注文してみた。
ブレイク、ジョーダン、ドートリーだけで目下一日が回ってる僕の音楽生活にあと3人加わっちゃう。
それに『クリミナル・マインド FBI行動分析課』のエンディング・テーマを歌ってる青年がシチズン・ポップという人だということが判ったので、この人のも購入予定になっちゃった。なんか魅入られてしまう歌い方なんだ。
狭〜く絞らないと堪能出来ないタチなのに、ジャンルも関係ナシになんか総花的な手の広げ方をしている今の自分が、ちょっと気に入らないんだがナァ。
posted by レドンドの風 at 00:11| Comment(2) | TrackBack(0) | TV番組 -アメリカ-