2017年11月11日

映画『Daddy Long Legs あしながおじさん』

篠田伸二監督作品『Daddy Long Legs あしながおじさん』
〜誰の胸にも灯をともす心優しきミュージカル映画〜

『あしながおじさん』(Daddy-Long-Legs)という子供文学はかつて日本でもよく知られていた。今でも、なのかどうかは知らない。日本の教育が変わりすぎてしまったので、僕らの時代の「常識」が今では通用しないことが多いからだ。

この小説はジーン・ウェブスターという女性作家によって1912年に発表された。
孤児院育ちの少女ジュディがある資産家の目に止まり、その資産家に毎月手紙を書くことを条件に大学進学用の奨学金を受け、生き生きとした青春時代を過ごす、というシンデレラ物語だ。
「Daddy Long Legs」(あしながおじさん)とは少女が資産家に付けた呼び名で、資産家に向けた手紙がそのまま小説になっている「書簡体」の文章も子供たちをワクワクさせた。勿論、僕が最初に読んだのは翻訳本なんかではなく、そこからさらに噛み砕いた形で書かれた子供文庫かなんかだったが…。

この人気作は、当然、何度も映画化、テレビ化、舞台化されている。
日本では特に1955年(昭和30年)、フレッド・アステア、レスリー・キャロン主演のミュージカル映画『足ながおじさん』(監督:ジーン・ネグレスコ)が大人気となり、以来、資産家の「篤志家」(社会奉仕や慈善活動を実行・支援する人)を指す「あしながおじさん」という言葉も定着していった。
子供の頃の記憶なので、間違いがあるかも知れないが、小説「あしながおじさん」を読んだのはちょうどその頃だし、篤志家を「あしながおじさん」と呼ぶことを知ったのもそれから2〜3年後、ちょうど中学生になった頃だったと思う。

この映画は「あしながおじさん」という言葉の由来をウェブスターの小説をなぞったアニメーションで見せることから始めていて、子供にも解るようなじゅうぶんな配慮がなされている。

そう、この映画の重要な点は「子供にも解るように」作られていることだ。

2012年。
最初の舞台はウェブスターが『あしながおじさん』を発表してからちょうど100年経った、アフリカはウガンダの「Ashinaga Rainbow House」という学校。
校長先生は「タマちゃん」と呼ばれる日本人玉井義臣(たまい・よしおみ)さん78歳。
タマちゃんは「あしなが育英会」の現会長だが、50年以上前から学生たちと共に「遺児支援運動」を行ってきた。
当初は自身が交通事故で母を亡くしている経験を基に「交通遺児」支援運動から始めたが、災害遺児、病死遺児、自死遺児へと活動が広がり、2001年からは両親をエイズで亡くした遺児たちの支援拠点としてエイズ死が最も多いウガンダに「Rainbow House」を置いている。

だが、映画はタマちゃんが「あしながおじさん」になった軌跡やその活動をを追ったドキュメンタリーではない。
親を失って絶望の底に沈んでいる子供たちを勇気づけるタマちゃん。子供たちに自らの手で今日という日をつかみ、明日を生きる力を与えたいと考えるタマちゃんが描かれる。

怒りを、祈りを、夢を、自分の言葉で語れ。歌え。踊れ。ぶつけろ。
誰かに聴いてもらえ、見てもらえ。
自分の思いが、自分の表現方法で、他人にしっかり伝わった時、人は自分を束縛しているモノから自由になれる。
その時、人は今日を脱ぎ捨て、明日に向かえるのだ。
そう考えたタマちゃんはエイズ遺児としてつらい日々を過ごす子供たちに「ミュージカル」という表現方法を用意する。
大地の響きにも似たドラムの音に敏感に反応する子供たち。
リズム勘は申し分ない。
ならば彼らにリズムに乗せた歌と踊りを与えてみよう。
タマちゃんはさらに考える。
目標は大きい方が良い。
そうだ、彼らをニューヨークはブロードウェイの舞台に立たせよう。
子供たちの、思いや願い、悩み、苦しみを世界中の人たちに知ってもらうのだ。

タマちゃんの呼びかけに賛同した人たちがウガンダにやってくる。
『レ・ミゼラブル』の初演舞台の演出家ジョン・ケアード。(映画版にもクレジットされている)
ウェブスター女史が在学したN.Y.ヴァッサー大学からは歌唱指導の先生や振付師、ボイス・トレーナーもやってくる。
ちなみにジョン・ケアードは舞台のアカデミー賞とも言われるトニー賞を2度受賞。当然、『あしながおじさん』の演出経験もあるが、日本版『レ・ミゼ』の出演者だった女優今井麻緒子さんと結婚していて、日本との関わりも深い。

こうしてウガンダの子供たちはプロの手に導かれ、輝きを放ち始める。
その過程で感心するのはプロたちが決して焦らないことだ。
子供たち自らが発光するのを辛抱強く待っている。
中でも、母をエイズで亡くした少女アニータは自分を上手く表出できない。いつまでも癒えない哀しみの中でもがいている。
彼女が抱えている痛みや辛さが彼女自身の言葉で語れたらエイズ遺児の哀しさは世界中に伝わるのに。彼女自身も囚われの淵から飛び立つことが出来るのに。
プロたちは彼女が自分を語り出すまで我慢強く待つ。待つ。

次の舞台は日本。
前年2011年3月11日。未曾有の災害に見舞われた東北は宮城。
ウガンダからの選抜メンバー20人はここで東北の子供たちと合宿を張る。そして、自分たち同様、親を失った子供たちが日本にもいることを知る。
エイズ死と災害死の違いはあるが親を亡くした寂しさ辛さに変わりはないことにふたつの国の子供たちは気づく。
子供たちの間に互いを思い遣る心が育ち始める。
アニータは徐々に自分を語り出す。

日下マリア。伊藤健人。
東北の少年少女たちも災害で親を奪われた怒りを太鼓の桴に籠め、烈しく打ち鳴らし、哀しみ、寂しさを語り、踊る。
東北支援ソング『花は咲く』が印象的に何度か歌われる。

2015年6月。
最後の舞台はニューヨーク。
ヴァッサー大学の学生たちも合流して公演に向けての仕上げが始まる。
「真っ暗な空に光る星が恋しい」と歌う学生たち。
「あなたの履いてるキレイな靴が欲しい」と歌う遺児たち。
『もっと欲しい』というナンバーにウガンダの子供たちは、現実をぶつける。欲しい物は星なんかじゃなく、靴なんだ、と世界に向けて訴える。
ブロードウェイ公演は好評裡に幕を降ろす。

篠田監督はアニメーションでの「あしながおじさん」紹介からタマちゃんの登場までを違和感なくつなぎ、『ロンドン橋』に乗せて、目、鼻、口といった単語を覚える子供たちを『サウンド・オブ・ミュージック』の『ドレミの歌』よろしく軽快に見せて行く。
また、アニータ、シャロン、パイアス。3人の子供たちのバックグラウンドをドキュメントすることで、「世界最貧国群サブ・サハラ」のひとつの現実を知らせる。

「サブ・サハラ」とはサハラ砂漠以南の49カ国を指しているが、貧しさが子供たちから教育を奪い、無知無教養が連鎖的にこの一帯の貧しさを加速させている。
草木を刈り取る代わりに緑を育てるという知恵がないために年間200ミリ程度の雨しか降らないモーリタニア。国の大半は砂に埋もれ、細かい粒子の砂が子供たちの目から光を奪って行く。
部族間の争いばかり続けていて、少年は兵士に、少女は大人の性欲のために誘拐されて行くコンゴ。今日を生きるのに精一杯で明日があるのかどうかも判らない子供たち。
一生身につけることもないダイヤモンドの掘り手として教育の機会を奪われるシエラレオーネの子供たち。
「給食」が食べられるということだけで学校に来る子供たちも少なくない。
つまり、教育も食事も満足でない子供たちが大半を占めるのが「サブ・サハラ」の現状だ。

この映画では玉井義臣さんの功績は必要以上に語られてはいないが「あしなが育英会」は50年にも及ぶその活動の中で様々な理由による遺児たちの高等教育を支援してきた。その恩恵にあずかった子供たちはすでに10万人を数えるらしい。
21世紀に入ってから玉井さんはアフリカの遺児への高等教育支援に目を向け、「サブ・サハラ」49カ国の中から毎年優秀な1人を選抜して、世界のあらゆる国への留学の機会を作ってきた。
世界のトップクラスの大学への就学。そのために必要な奨学金と生活費の支給。
卒業し、母国に戻った学生たちは国のリーダーとなり、自分が受けた支援を社会に還元して行くだろう。
玉井さんは自らが計画したこの「アフリカ100年構想」が結実する日を見ることが出来ないかも知れない。
けれど、その精神はこれからも「恩送り」という形で引き継がれ、受け継がれて行くに違いない。

その引き継ぎ手の一人として玉井さんが篠田伸二をウガンダに呼び寄せたのは正解だったと思う。
「玉井先生の頼みに応えない訳には行かないので」
篠田さんはこの映画の試写後のトークショーでそれしか語っていなかったが、彼の学んだ上智大学の教えは「他者のために。他者と共に」というのだそうだ。
その教えはこの映画にシッカリと刻まれている。
撮影開始当時、篠田さんはまだTBSの社員だった。
夏に長い休暇を取ってアフリカまで撮影に出かけ、短い休みには東北へ、と何とかスケジュールをやりくりしていたが、編集段階に入った昨年、ついに片手間では仕上げられないことを実感。定年まで何年か残しながら退職を決断し完成に漕ぎ着けた。

涙を禁じ得ないシーンが何カ所かある。
泣いてはイカン、子供たちのこの現実をキチンと受け止めなければ、と思うのだが、我知らず涙が溢れる。
まばたきを忘れたような、感情を失くしたかのような大きく見開かれた眼。子供たちのその眼はどんな過酷な現実を見てきたのだろう。
だが、ブロードウェイが近づくにつれ、子供たちはまばたきを始める。
眼の中に生きる歓びに溢れた輝きが見え始める。
篠田さんのカメラはその表情を優しく汲み上げる。
これは愛に溢れた素敵なミュージカル映画だ。

ナレーションは篠田さんの奥さんでもある女優紺野美沙子さん。
紺野さん自身、国連計画親善大使として各国を歩いているから、こうした子供たちの現実に(おそらく)理解が深い。
こなれた語りで、絵の邪魔をしないのは作品に対する咀嚼が充分なせいだ。
とてもいいコラボレーションだと思う。
「あしなが育成会」のプロパガンダ映画になっていないのも篠田さんの節度を感じさせて心地良い。

「この映画を見たい」という人が何人か集まればどこにでも出かけていくので是非お声がけを、だそうだ。
出来ればテレビでの放映機会を、とも。
この映画が多くの人の眼に触れることを僕も切に願っている。
そういう映画だ。

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2016年06月14日

モハメツド・アリ逝去

アリのファンでした。
2003年に観たテレビ映画について我がサイト内『岬の果ての映画館』に書いたものを再掲して追悼の言葉に代えたいと思います。

『アリ/栄光への軌跡』 ALI:AN AMERICAN HERO
(2000年.米.FOX TELEVISION STUDIO)

監督:
レオン・アイチャソ

出演:
アリ:デビッド・ラムゼイ
マルコムX:ジョー・モートン
ドリュー:ヴォンディー・カーティス=ホール
ハワード・コーセル:アール・ボーン

僕はこの頃「アリ」こと、モハメッド・アリに凝っているかもしれない。
もちろん、この5月に日本でも封切りになるというマイケル・マン監督、ウィル・スミス、ジョン・ヴォイト出演の『Ali』に強い衝撃を受けたからに他ならない。アリ自身が全面協力したと言う通り、映画は実に感動的な仕上がりを見せた。主演のウィル・スミスは、「目でアリのすべてを再現して見せた」とその演技が大絶賛だ。
カツラのレポーターを演じたジョン・ヴォイトも助演賞候補にノミネートされていたんだね。だろう、だろう、と僕は当然のように頷いてしまった。
映画の上映に当たって、アリは「僕はこの映画にだけありのままを語った。僕がサポートしたのはこの作品以外ない」とまで語って、宣伝に一役買っている。

たしかに今回、ウィル・スミスの「目」には誰の目も惹きつけられるよね。
イヤ、良い出来サ、『Ali』は間違いなくネ。でも、このテレフィーチャーもないがしろにしたくない。

監督のレオン・アイチャソについてはTVシリーズ『マイアミ・バイス』の演出以外には20本くらいのTV番組しかそのリストに載っていないし、生年月日も「Date of birth (location) Havana,Cuba.」と記されている以外には何も資料がない。
主演のデビッド・ラムゼイはこのところ、毎年出演作がある様で、『ナッティ・プロフェッサー』などでは役名もあるくらいだから、その内、作品が当たれば彼自身も浮上する可能性があるけれど、まだ、残念ながら生年月日も定かではない。つまり、テレビでは主役が張れるが、スターではないってことだ。
他のキャストも同様で、どこかで見た記憶はあるのだが、という顔ぶればかりで、バイオグラフィー的にはほとんど何も判らなかった。日本人にはいわゆる無名キャストである。まあ、有名になる前はみんな無名だからね。

だけど、作品は相当しっかりしている。
もちろん、アリの物語は世間周知のものなのであまりドラマ的創作は入り込む余地がない。それでもドラマになるということはアリ自身の来し方がドラマに満ち満ちているということにもなる。
イヤ、実際、ドラマチックなのだな。僕が有している裏町人情ちまちまドラマではない世界を相手にした堂々たる波乱のドラマなのだ。愛と平和と闘いの半生だ。

アリは1942年、アメリカ・ケンタッキーのルイヴィルに生まれた。ガチガチの南部生まれである。黒人の彼がどんな差別をされながら生きたかがそれだけで想像できてしまう。本名はカシアス・クレイ。1960年、ローマ・オリンピックで金メダルを獲得して、世界にその名を知られた。18歳の時である。
彼は弟と遊んでいた12歳の時、愛用の自転車を盗まれ、いつかそいつを見つけたらぶちのめしてやろうとボクシングを始める。
このテレビ映画はその動機からジックリと描いて行く。

映像的飛躍はないから、その後のカシアス・クレイの人生に我々は丁寧につき合うことになるのだが、天才の周りには本当に面白い人物が集まってしまうものなのだな、と感心させられる。
ローマ・オリンピックまでのカシアスを支えたのはジムの経営者兼コーチのジョー。彼の指導で才能を開花させたカシアスはオリンピックで金メダリストとなり、意気揚々と故郷ルイヴィルへと凱旋する。
だが、ここは南部だ。メダリストであろうが何であろうが黒人は黒人なのである。アリは弟と入ったレストランで物も食べさせて貰えない屈辱を味あわねばならなかった。彼はその帰り道、金メダルを川に投げ捨てた、とされているが、このテレビ映画はその気配を見せるだけにとどめている。

彼は必然的にプロ・ボクサーへの道を歩み出す他はなかった。
紹介されたセコンドがドリュー・バンディーニ。アリを称して「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と言ったのはどうやら彼だという。
ちなみにアメリカ中がカシアスの改宗を認めたがっていないとき、敬意を持って「モハメッド・アリ」と放送したのがカツラのハワード・コーセルさんだったんですね。

黒人の希望の星がやがて急進的な黒人指導者マルコムXと出会うのは運命だったろう。
無抵抗主義などは受け入れられない。座り込みなんて誰にでもできる。立ち上がるのが人間だ。右の頬を打たれたら左の頬を打ち砕いてやるのだ。
それがマルコスの思想だった。カシアスは彼の誘いで黒人のイスラム教集団「ネイション・オブ・イスラム」に入信する。
と同時に「カシアス・クレイなどという名は白人が奴隷に与えた名だ」として"モハメッド・アリ"と改名する。そして宗教的良心によってベトナム戦争への徴兵を拒否する。

「ベトナム人は我々を呼んだか? "黒人野郎"なんて。彼らはオレたちの敵じゃない」

すでに世界ヘビー級チャンピオンだった彼の徴兵忌避はアメリカ国内に影響が大きすぎた。アリは1967年、5年の禁固刑と罰金10,000ドルを命ぜられ、あらゆるタイトルを剥奪された。
3年半、国内外の試合を禁止されたアリはFBIの監視下に置かれ、すべての行動をチェックされた。もちろん、以前からマルコムXとの密会はチェックの対象になっていた。
1971年、最高裁でアリの罪は覆され、再びリングに立てる日が訪れる。

しかし、アリが出会ってまもなくの頃から、「ネイション・オブ・イスラム」の中でマルコムXは孤立し始めていた。
その激しさに心を突き動かされてイスラム教に改宗したアリだったが、上層部はマルコムを遠ざけ、さらには今や動く広告塔となったアリの周りから教義にそわない人物を次々に遠ざけさせ始めていた。アリはいつの間にか丸腰になっていたのである。

酒と女にだらしのないセコンドのドリューもすでにそばにはいなかった。
しかし、失意の彼を家族は見捨てなかった。弟は共に改宗して、兄を守り続けたし、イスラム教への改宗を怒り、その縁を切った父も、苦悩し、語るべき言葉を持たないお喋り息子が一人寂しく家に戻れば、その頭を無言でかき抱くのだった。

試合勘の戻らないアリは当然のことながら復帰防衛戦であるジョー・フレイジャーに破れ、築き上げた不敗神話は脆くも崩れ去る。続くケン・ノートン戦にも破れたアリは自らが教義に従い馘にせざるを得なかったドリューを訪ねる。ドリューも零落していた。しかし、アリの長所も短所も彼だけが的確に知っていた。

ケン・ノートンとのリターン・マッチに勝ったアリは1974年、ジョー・フレイジャーにも雪辱を果たし、チャンピオン戦への切符を手に入れる。そしてその年の10月、当時最強のチャンピオン、ジョージ・フォアマンとの闘いがザイールのキンシャサで開催されることになる。

ラスト・シーンはもちろん、「キンシャサの奇蹟」だ。それも映画『Ali』と共通しているが、どうやら世界の誰もがアリをこの一戦で記憶していることは20世紀の常識なのだな。
そしてこの映画は観衆に向かって両手を掲げるモノクロ画面に被せてこう結ぶ。
「人々のために王座を取った。英雄とは違う。ボクサー志願の少年を神がファイターにしたのだ」

その時、このファイターは画面に背中を向けている。掲げた両手は誇らしく突き上げた腕ではなく、キリストが後ろ向きに十字架に張り付けられたように見えなくもない、ってのは考えすぎ? まあ、面白い終わり方だと思う。事実以外の何かはないけどね、多分。
ちなみにアリは3度王座に返り咲き、1981年に引退した。戦績は61戦56勝37KO。現在はパーキンソン病と闘っている。

アリの闘いの日々のさなか、1965年2月、マルコムXはマンハッタンのワシントンハイツ地区で演説中に暗殺されて39年の短い生涯を終えている。
マルコムXについては1992年度作品でデンゼル・ワシントンが名演を見せ、アカデミー賞主演男優賞にノミネートされた、その名もズバリの『マルコムX』(監督:スパイク・リー)という傑作がある。
どうぞ併せてご覧あれ。

モハメド・アリ(Muhammad Ali)
1942年1月17日〜2016年6月3日(満74歳没)

2002年3月 かぜ耕士
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2016年02月13日

NHKBS『新 日本のうた』公開録画を観に行った

(於:ウェスタ川越大ホール)

リハビリを早退してNHKの公開録画を見に行った。
ヤング101が13年ぶりに再結集するという。しかも収録場所が川越だという。
リハビリ所からわずか20分だ。
こんな時でないと会えない顔も何人かいるので、藤島新さんのお手を煩わせて入場引換券を送っていただいた。
葉書は今日、運良くリハビリに出る直前に我が家に届いた。
新さんは届かなかった場合のことまで気にしてくれてたようなのでリハーサル前にとんだご心配かけて申し訳ないことをしました。
新さん、ホントにありがとネ。

邪魔を承知で楽屋までうかがうとシングアウトのドンちゃん、構成の頌一君もいて頌一君とは10年ぶり位の再会となった。
「頌一君」なんて言ってるけど井上頌一さんは業界でも僕の一年先輩で『ステージ101』を皮切りに『紅白歌合戦』を40年近く書いていた。「今も」かどうかは聞き洩らしたが「最近」まで書いてた、と思う。
今やNHKのことなら番組のことも内部事情も職員の誰より頌一君の方が詳しいと思う。多分、だが……。

本日の出演歌手は石川さゆり、石原詢子、千昌夫、角川博、冠二郎、北川大介、西方裕之、中村美律子、すぎもとまさと、キム・ヨンジャら演歌陣とヤング101という不思議な取り合わせ。ヤングは牧ミユキ、小原初美、チャープス三姉妹、泉朱子、諏訪マリー、山田美也子、広美和子、黒澤裕一、塩見大治郎、石岡ひろし、田中星児、牧憲之、山崎イサオ、藤島新、の諸氏諸嬢。女性9人、男性7人の総勢16人。
番組主題歌の『ヤッポン』で登場し、『人生素晴らしきドラマ』と『涙をこえて』をメドレーで。相変わらず衰えぬ声は見事だった。
星児君は持ち歌の『ビューティフル・サンデー』でも登場、と大活躍。音程の確かさと変わらぬ上手さで「歌のお兄さん」健在を印象づけた。
今日の公録は出来たばかりの「ウェスタ川越」のお披露目的要素が濃そうな催しで、義弟が教頭をつとめる高校のバトン部が出演。星児君の『ビューティフル・サンデー』に彩りを添えていた。

さゆりちゃんが大トリの『女人荒野』で珍しい出トチリを3度。
難曲なのか音合わせし直すハプニングに客はむしろ大喜び。
滅多に見られぬ光景に暖かい拍手さえ湧いて、収録は妙に優しい空気が流れて終了した。

放送はNHKBSプレミアムで
3/6(日)午後7:30-9:00の90分。
再放送も2回ほどあるようなので是非見てやってください。
全編歌謡曲の中で奮闘するヤング101、なかなか見ごたえがありますばい。

写真は ウェスタ川越
    自主練習に精出す「ヤング」たち、
    頌一君、かぜ、ドンちゃん、
    101ファンのクーコさん、マグノリアさん、Tさん

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2015年12月12日

野坂昭如さんが亡くなられて


一番心配なのは永さんが気を落とされて元気を失くされてしまわないか、ということだ。

野坂さんを好きになったのは1963年秋頃、『小説中央公論』に書いた『エロ事師たち』だった。
その一年前の高校生の頃、『月刊朝日ソノラマ映画音楽』に駄文を書いていたコラム作家と同じ名前だったので、同じ人かどうか確かめたほどだ。
同じ人だったので心底ビックリした。

初期の作品『心中弁天島』(映画化タイトルは『遊び』)が大好きで落合恵子さんに掲載紙を貸したら、これをいたく気に入ってしまった。
いつか清新な、たとえば高橋三千綱さんの『九月の空』のような芥川賞系の作品をものする作家になるかな、と期待した落合さんが直木賞系に進んでしまったのは、野坂さんを教えちゃったせいだったかな、と時々反省してた。
野坂さん、五木さん、立原さん、三好さん、辺りまでの数年間の直木賞予想は外れようもないほど磐石の候補だったなあ。

でも、野坂さんはラジオ番組で、僕の『2月12日の手紙「ひとり」』って歌を「ただの作文じゃあねえか」とこき下ろしてくれたのだった。
あんなに好きな作家だったのになあ。
世の中はうまく行かんもんばい、とつくづく思ったものでした。

野坂さん、それでもずーっと好きでした。
安らかにおやすみください。

野坂 昭如(のさか あきゆき、1930年(昭和5年)10月10日 〜 2015年(平成27年)12月9日没 85歳

@好きな作家は雑誌をバラして一冊にしていた。
A朝日ソノラマ『映画音楽』
B野坂さんのコラム。好きな作家の過去をばらすのはホントのファンじゃないな。
Cこれがくさされた問題のレコード。
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2015年11月17日

11/15(日) 小林啓子 湘南Special Live 2015 「この先の歌へ」(鎌倉欧林洞)

11/15(日) 小林啓子 湘南Special Live 2015 「この先の歌へ」(鎌倉欧林洞)

ケーキ屋さんの2階にあるこのホールはかつてのニュー・ミュージック系アーチストに妙に人気が高いようで僕自身、今年2度目の訪問。
啓子ちゃんのコンサートに伺うのは多分、4度目で、1回目はなんと、彼女が21歳の頃だ。
1970〜71年頃か?
2度目、3度目はソレからグッと下って2003年頃だから歌声も表現力もまるで変わっていた。
結婚生活で30年ほど歌わずにいた時期があるらしい。
とにかく彼女の歌を聴くのは久しぶりなので楽しみに出かけていったのだ。
ステージはいたってシンプルでキーボードの山口玉三郎さんと啓子ちゃんだけ。
このステージにはシンプルな方が合うかもね。
@winter light
1曲目は明るいカントリー娘だったリンダ・ロンシュタットのシットリとしたナンバーを原語で。
A雨に濡れた朝
昨日のパリでの自爆事件に触れつつの選曲。
イスラム教に改宗してユスフ・イスラムとなってから各国で入国拒否に遇ってライヴも開けない旧芸名キャット・スティーブンスの大ヒットソング。
僕は今でも彼が好きだ。
ちなみに啓子ちゃんの息子さん(「BONINGEN」vocal)も同時刻にライヴ中だったそうで「すぐにホテルに戻れ」の命令でライヴは中止になったとか。
スタッフには死傷者も出たらしいという語りに遠い異国の出来事、他人事ではないことを実感。
 
Bさよならcolor
5人組ファンクバンドSuper Butter Dogの2001年のヒット。2005年、竹中直人監督で同名の映画も生まれた。
SBDのヴォーカル永積タカシはSBD解散後、ソロユニット「ハナレグミ」として活躍。こちらの名で知る人も多いのか、太田裕美ちゃんのコンサートでも「ハナレグミ」のヒットとして歌われた。
Cボクサー
サイモン&ガーファンクルのヒット曲のひとつ。
「ライ・ラ・ライ・ララララ・ライ・ラ・ライ」(嘘で嘘で嘘で嘘で)のリフレインに切なさややるせなさが籠められて良い歌唱。
ブレッド&バターの岩沢幸矢さんが本日のゲスト。
小室等さんと並ぶ東の長老。
「湘南サウンド」などと言われたがデビュー曲は何故か『傷だらけの軽井沢』。
最初は歌謡曲だと思っていたので『走れ!歌謡曲』で時々、選曲した。次の『マリエ』でフォークグループだったのか、と認識した覚えがある。
D愛したい 信じたい
岩谷時子さん作詞のメッセージソングを二人で。
 
E風
ブレッド&バターの曲の中ではこれが好き、と啓子ちゃん。
F虹の彼方に
二人で『オズの魔法使い』から。
最近ではゲイの歌として再評価されている息の長いスタンダード・ナンバー。
微笑ましいデュエットソングになった。
啓子ちゃんの休憩。幸矢さんのソロで。
G江の電の歌
正式タイトルは知らない。
何度か繰り返される「welcome back home」に夕景色の中を走る江の電の感じが上手く捉えられている。
Hアロハ・カガヒアカ
幸矢さんはハワイが好きらしい。
kuro-sanもこの歌、きっと好きになる。
再び小林啓子、休憩を終えて。
I比叡おろし
僕がこの歌を知ったのは小室等さんのコンサートから。
これを歌うとその日の自分の調子が判るから、と70年当時の小室さんは大抵ライヴでこれを歌っていて、1枚目のソロ・アルバムにも入れている。
啓子ちゃんはこれを70年にシングル発売していてB面がNHK『ステージ101』からの『恋人中心世界』。
『101』組では小原初美ちゃんもレコーディングしていて発売は三人ともKING Recordsから。
この歌は前半が「〜したそうな」という伝聞口調の客観描写、サビから「ウチは比叡おろしですねん」と一人称になる面白い構成。
啓子ちゃんはサビからを大仰なほどの表現で「比叡おろし」の冷たさを際立たせた。
演劇的で楽しい試みだと思った。
J私の孤独
仏語でジョルジュ・ムスタキの『マ・ソリチュード』を。
仏語の先生からそろそろ披露しても良いと言われたそうで、なるほど、らしい(失礼)発音。
ムスタキ。懐かしかった。
Kスライダーを覚えて
世界的デザイナーのヨージ・ヤマモトが歌手だったとは知らなんだ。
啓子ちゃんが出逢った時、まだヨージは小さなブティックを持ったばかり。
彼から貰ったレコードの中でこの曲が気に入り、いつも口ずさんでいたら息子さんがこの歌を子守唄がわりに覚えてしまったらしい。
今では腰まで伸ばした髪を振り乱して歌う息子さんは「この歌が僕の原点」と言っているそうな。
野球のテクをひとつずつ覚えて行く少年の姿は普遍的で説得力がある。
啓子ちゃんはこの春発売したアルバムでBONINGEN君のアレンジでこれをカバーした。
さぞかし感無量だったことだろう。
L嘲笑
北野武作詞、玉置浩司作曲。
不思議にもセンチメンタルになれる佳曲。
これも『この先の歌へ』に入っている。
つまり新アルバムはなかなか興味深い選曲なんだ。
Mサン・フランシスコ・ベイ・ブルース
ラストは英語で。
アンコール曲代わりのオーラスは、元々、スティービー・ワンダーがブレッド&バターに書き下ろしたらしい『I Just Called To Say I Love You』を客も交えて大合唱。
NI Just Called To Say I Love You
しかし、日本語タイトル『心の愛』で知られるこの歌はブレッド&バターで発売されることはなかった。
スティービー・ワンダー、人に上げるには良い歌過ぎて惜しくなったらしく、返してくれと言い出したらしい。
結局、この歌はスティービー自身の歌でレコーディングされ、映画『ウーマン・イン・レッド』の主題歌として大ヒット。
1984年にビルボード誌No.1を記録し、アカデミー賞では歌曲賞を獲得した。
幸矢さんは多くを語らなかったが実際にはレコーディングも済ませ発売間近だったらしい。
日本語詞は呉田軽穂ことユーミン。
あとから別の作品をくれたらしいが、そりゃちょっと約束が違うよスティービー、って話じゃないかしらね。
ライヴはこの曲をもって有無を言わせず終了。
ウン、ダラダラとアンコールに応えるより、僕もこの方が好きだな。
全体を通して、良い仕上がりのライヴじゃなかったでしょうか。
啓子ちゃんの語りは後半に歌う歌の前振りを2〜3曲目でしちゃったり、おっちょこちょい全開なんだけど、玉三郎さんが勘良く交ぜっかえすので大きな失敗にならずに済んでいる。
玉三郎さんの笑いに変換する手際が絶妙で二人の息が合っているのが良くわかる。
しかも啓子ちゃんの話が思いの外、含蓄に富んでいてフムフムとうなずける要素が多いのだ。
息子とヨージの話はちょっと泣きそうになっちゃったな。
声は若い時よりずっと太く深くなっていて、高音は以前より伸びが良い。
日頃の訓練を欠かしてないのは何故か『101』の人達に共通していて、年齢なりの実りを見せているのは立派だと思う。
なごやかな空気に包まれた質の良いライヴというのが今回の印象で、心地よい気分で鎌倉をあとにした僕でした。

写真は
@小林啓子 新アルバム『生きるものの歌 この先の歌へ』
Aシング・アウトのドラマー、ドンちゃんと啓子ちゃん
Bこのひどい写真はドンちゃんの撮影

生きるものの歌.jpg生きるものの歌.jpg
ドンちゅんと啓子ちゃん.jpg
かぜ耕士 小林啓子.jpg
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2015年11月12日

月蝕歌劇団「新撰組 in 1944-ナチス少年合唱団-」(ザムザ阿佐ヶ谷)


美少女演劇(暗黒版宝塚の異名もある)で知られる月蝕歌劇団を見た。
主宰者で作・演出の高取英さんとは1980年頃からの知り合いなのだがその作品を見るのは初めてなんである。
高取さんの芝居に安達明の『女学生』という歌を用意した、ということだけの付き合いなのに恩着せがましくFB上で友達関係になったというのが今年のこと。
月蝕歌劇団は今年結成30年で今月末にはWOWOWでドキュメントが放送になるのでその前にちゃんと見とかなきゃ、と重い腰をあげたのだ。
1985年旗揚げだから、考えてみると高取さんとは劇団結成より前の付き合いになる。
僕が音源を用意できたのは少なくともキー局のパーソナリティ時代しかあり得ないので80年か81年、演劇団での公演『月蝕歌劇団』か次の『聖ミカエラ学園漂流記』辺りのことだ。
演劇団公演『月夜とオルガン』(作・北村想)の宣伝担当をしていた頃かも知れない。
『新撰組 in 1944』については演劇ジャーナリストの山田勝仁さんが書いてらして、それがとても素敵な劇評にもなっているのでお読みいただきたい。
奇想天外な新撰組とナチスとの出会いが「思いこそが現実を変える」「理想を語らねば世界は滅びる」ことを示唆していて興味深い。
ワクワクハラハラしながらその骨太な劇世界に飲み込まれて行く。
感動的で心地よい体験だ。
舞台最後は字幕で処理される。
土方は薬売りの行商に戻るのだが、歴史上では明治時代を牽引した人物たちが次々に暗殺される。
おそらくは土方の仕事だ。
そして、土方は五稜郭で弊れなかった。
彼は内戦に勝利し、共和国構想を実現する。
思いの深さが歴史を超えて行く。
ロマンチシズム溢れる感動的なラストだ。
出演者の大半は美しい女優たちだが、美しい人を見ているのはやっぱり気持ちいいな。
新撰組を女性が演じるわけだが思いの外、発声は気にならない。
宝塚的発声だと疲れるな、と余計な心配をしていたが杞憂で、土方歳三役の倉敷あみ、ゲッペルス役の白川沙夜にクラッときた。
つまり、主要キャストたちはそんな風にカッコいい。
新大久保鷹さんをはじめとする男性キャストも要所をビシッと決めてイカしているのだが、吉田松陰の怨霊を好演する俳優だけが小汚ない。
実はこれが漫画家の田村信さんで、この劇団が大好きで近年の公演にはほとんど客演しているらしい。
「おれ、田村だからあだ名がたむたむでかぜさんと同じなんだよ」
と挨拶してくれた。番組をいつも聞いててくれてたらしい。
これも長生きの得みたいなものですね。
高取さんが美女揃いの出演者たちに「この人が伝説のディスクジョッキー」と紹介してくれたが彼女たちの反応は「ディスクジョッキーって何? 仕事?」
思わず吹いた。
月蝕歌劇団の公演には「詩劇ライヴ」が必ず付随しているらしい。
懐かしのメロディ数曲とこれまでの公演で歌われた劇中歌なのか、馴染みはないが刺激的な歌が披露される。
音楽はJ.A.シーザー作品なのか曲調にある流れが聞き取れ、いつの間にか気持ち良くなる。
既にCDデビューしている人もいるので水準は高い。
前述の山田勝仁さんも今日はライヴだけを聞きにこられて久しぶりの再会。
しかし、僕はこのところ絶好調だったものだから少し自分を過信していた。
ちょっと段差の高い階段の2段目でバランスを崩して落っこちて、したたか腰を打った。
運良く後ろで山田さんが支えてくれたので助かったが、家に戻ったら腰と首が痛く、明日のリハビリ教室に行けるかどうか微妙なところ。
油断は禁物だね。

集合写真は月蝕歌劇団の美女たちと主宰者で作・演出の高取さんと演劇ジャーナリストの山田勝仁さん。
山田さんはお茶のあと、フットワーク軽く紀伊国屋劇場へ。
僕は高取さんと喫茶店で長話してしまいました。
高取さん、またきっとうかがいます♪

ちなみにWOWOWの放送は「ノンフィクションW」枠で
11/21(土) 午後1:00〜/ 11/23(月・祝) 深夜2:10〜 の2回放送。多分、12月にもあると思います。
タイトルは
『暗黒のアイドル、寺山修司の彼方へ。「月蝕歌劇団」30年の挑戦』

月蝕歌劇団.jpg
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2015年11月11日

11/3 神奈川芸術劇場『21世紀の上を向いて歩こう』コンサート


今日は横浜中華街から間近い「神奈川芸術劇場」に来ている。
『21世紀の上を向いて歩こう』というコンサートでLittle Glee Monster という上手いと評判の少女6人組が『涙をこえて』を歌ってくれる。
このコンサートのために詞の一部を書き換えタイトルも『涙をこえて〜Re-born』となった。
大友良英スペシャルバンド、二階堂和美、福原美穂さんなど4組が中村八大さんの作品集を演る。
この頃、八大さんの作品を見直す機運が高まっているのか、この10日で2回聞くことになった。
『夢で逢いましょう』で発表した以外の楽曲も沢山ある八大さん。
プロデューサーは『こんにちは赤ちゃん』の赤ちゃんその人である中村力丸さんである。
アッと驚く選曲を期待しているが、さて…。

大友さんはご存じ『あまちゃん』のテーマ音楽で知られた作曲家だが元はフリージャズの作曲家、ギタリストとして知る人ぞ知るアーチストだ。
東南アジア各国で映画音楽家としても知られていたらしい。
山下毅雄さんや八大さん、そしていずみたくさんやクレイジーキャッツの音楽も好きだったとwikipediaにあるのでテレビっ子だったのかもしれない。
オープニングは本領発揮のフリージャズで
@21世紀の「上を向いて歩こう」(大友良英スペシャルバンド)
先行きがどうなるのか全く読めないオープニング。
なんかウキウキしてくる。
しかし、2曲目からは永六輔作詞・中村八大作曲の『今月の歌』が大きな売り物だったバラエティ番組『夢であいましょう』から
A夢で逢いましょう(二階堂和美)
Bあの娘の名前は何てんかな(二階堂和美)
が順当に選曲されている。
「あの娘の名前は…」は九ちゃんによるコミックソングで『夢あい』の出演者、中島弘子、坂本スミ子、黒柳徹子や、渡辺プロの美佐社長、九ちゃん所属のマナセプロの社長や、田代みどり、森山加代子などとにかく当時の少年少女たちがみんな知ってる名前をいろいろ呼びかけるが返事がない。なんと「あの娘」はマネキンだったのサ、という落ちがつくナンセンスソングなんだけど、ちゃんと作品になっているところにこの歌が愛された理由がある。
しかし、丸山明宏さんが歌ったという次の歌は記憶から完全に欠け落ちていた。
C誰に(二階堂和美)
曲は『Take 5』にクリソツ。
ちゃんとスタジオ写真にも丸山さんが映ってるから間違いないのだが、この歌に全く記憶がない。
面白かった。
面白いと言えばMCは大友さんがつとめているのだが、これが抜群の上手さ。
流暢なのでなく、放っておくと止めどなく続いてしまいそうな、と言って饒舌とも違う、笑いの勘所をしっかり抑えた奔放さなのでほぼ満席の客席からは笑い声と共に拍手も起きる。
思わず笑っちゃう、どこか愛らしいエピソードが混じったりする。
さて、次に登場したのは平均年齢16歳の「最強歌少女」たち、Little Glee Monster。
まずは挨拶がわりの1曲がなんとアカペラによる
Dyesterday(Little Glee Monster)
と来たもんだ!
イヤー、驚いた。ホントに上手いんだもの。
E君が好き(Little Glee Monster)
F涙をこえて(Little Glee Monster)
「学校の音楽コンクールで2年前に歌った」とか言いながら歌ってくれたので嬉しくなっちゃった。
そして、ラストもアカペラで
G遠くへ行きたい(Little Glee Monster)
ま、見事なハーモニーです。
嫌みのない歌唱ですんなり心に届いてきました。
3人目のシンガー、福原美穂さんはなんとレゲエのアレンジで、北島三郎さんの名曲
H帰ろかな(福原美穂)
を。
続いては江利チエミさんの
I私だけのあなた(福原美穂)
を。
実はこの歌もまったく耳馴染みがないが、なんとも切ない恋歌。福原さんの歌唱が冴える。
そして、ついに
J上を向いて歩こう(福原美穂)
なのだが、オノヨーコの英詞で披露。
試みは面白いのだけど聴き手はちょっと落ち着かなかったと思う。
オリジナルは水原弘のB面ソングだがちあきなおみのカバーヴァージョンが知られる
K黄昏のビギン(二階堂和美)
は、どうも2コーラス目を八大さんが作詞したらしい。
映画の中で使うため元は1コーラスしかなかったので、レコード用に八大さんがどうも書き足してしまったらしい。
道理で永さんは「作曲は天才だけど作詞家としては三流」なんて言ったりする。
ウン、僕にも八大さんが詞を書き足した作品があるんだけど、それがテレビやラジオで流れている時、上を向いて歩けなかった。
次は
L笑点のテーマ(大友良英スペシャルバンド+二階堂和美)
で二階堂さんが「パフッ」を担当。見事に決めました。
そして、これだけが青島幸男作詞となる
M明日があるさ(全員)
とにかく明るくなれるのが良いね♪
オーラスは八大さんの作詞、作曲、歌、という異色作を大友さんのソロ、出演者全員のコーラスで
N太陽と土と水を(大友良英)
合歓ポピュラーフェスティバルで地元の子供たちを従えた八大さんのこの作品は商業的意図をまったく排除したシンプルで美しい歌だった。
フェスティバルでは特別賞を受賞したのだったと記憶する。
レコードは持っているので一度番組で掛けてみたい。
今でもこの歌の持つメッセージ性とシンプルな美しさの価値は変わっていないと思うし、むしろ今の方が素直に人の心に届くかもしれない。
さすが八大さんのファンを自認する大友さん、思わぬ佳曲を選曲したものだ。
感心した。
そしてアンコールは、初めてオリジナル曲に近いアレンジで
O上を向いて歩こう(アンコール/全員)
ホッとしてThe End。
まことに心地よいコンサートでした。

写真は@ポスター
A真ん中左が福原美穂さん、右が二階堂和美さん。
それを囲んでLittle Glee Monster。

21世紀の上を向いて歩こう.jpg

21世紀の上を向いて歩こう2.jpg
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2015年10月30日

恐るべし!「虎姫一座」

10/25(日)、浅草にレヴューを見に行った。
そのタイトルを「これが浅草レヴュー『虎姫一座』だ! 60年代を突っ走れ!」という。
イヤー、驚いた! 実に質の高いエンターテインメントに仕上がっている。端的に表現すると
「来た!」「観た!」「震えた!」
僕がこのshowの存在を知ったのは今年6月の中頃、浅草六区の「ゆめまち劇場」にWAHAHA本舗の主宰者喰始演出の芝居を見に行った時だ。
終演後、「僕は今日、浅草に来てる」と、劇場内の写真をアップしたら、「その写真に後ろ姿で写り混んじゃったのは僕です」とコメントしてくれた人がいた。その方を佐野さんという。
「なんだ、声かけてくれれば良かったのに」と返信したら、
「僕、今はもうそこからすぐの劇場にいます。『虎姫一座』のshowなんですが、最後にかぜさんの歌が歌われてます。いつか見てやってください。とってもいいグループです」
「虎姫一座? なんだそりゃ」というのが第一印象だったが、僕はそれから間もなく、思いもよらぬ場所で、彼らの存在を再認識することになった。
なんと、それは、新しいリハビリに取り組むために移った高坂のリハビリ施設でのことだ。
完全に失われてしまった筋力を取り戻すため、マシンを使うことになったのだ。
リハビリには十分な休憩と水分補給が必要なので必ず途中でお茶の時間がある。
その日、僕が親しくさせてもらっている三枝さんがこんなことを言い始めた。
「この間さあ、浅草でいいものを観たんだよ」
「良いものって?」
僕が相づちを打つ。
僕はこの病気になってから、食堂とかお茶の時間に、誰かが話し始めた話題をみんなの話題に広げる癖がついた。そうしないと高齢者たちはただ、黙ったままになってしまう。
なので僕はいつの間にか「班長サン」という認知をされてしまうらしく、お婆ちゃんから「オシッコ行きたいんだけど」とか「コーヒーの袋が破けないんだけど」とか雑用申し受け係みたいになっている。
「あの〜、山田さんはまだ見てねえかい。若い子たちが古い歌を歌って踊るンだけどよ」
「WAHAHA本舗?」
「ウウン、そんな有名な名前じゃなくて、まだ無名なんだけどこれが馬鹿に良いんだい」人の話はいい加減に聞いておくものじゃないね。「浅草」「無名」で僕は佐野さんの教えてくれたグループ名に行き着いたのだ。
「もしかして、虎姫一座って言います?」
「ああ、そ、それだよ、虎姫一座。エ、山田さん、何で知ってるん? もう有名なん?」
「ええ、ネットではだいぶ評判ですねえ」
「ああ、そうなんかい。それじゃあ、テレビにも出てくれるかねえ。俺ァ、楽しみに待ってンだよ」
もう、70代後半の三枝さんをこんなに喜ばせた「虎姫一座」ってどんな演し物をやってる、どんなグループなんだろう?
僕の中では期待ばかりが大きく膨らんだ。
出会いというのはそれが必然ならば本人の知らぬところで着々と準備されて行くものなのかもしれない。
なんと、わずか1ヶ月の間に三度「虎姫一座」の名を聞くことになった。
7/11(土)、僕は久しぶりに人前に立つことになった。
「EPO歌手生活35周年記念コンサート」
面映ゆいことだがゲストである。EPOちゃんの最初の歌声は僕の番組のレコードに収まっている。
ただ、その縁だけで僕とEPOちゃんは長〜い友達だった。
このコンサートに出て以来、僕のFB友達は数十人増となるのだが、その中に「虎姫一座」応援団長を自認する田村さんがいた。
田村さんは「タクシーを手配します。是非、見て欲しいんです」とメッセージを下さった。
なんと、田村さんは「虎姫一座」と出会って、家族ごと浅草に転居してしまった、という究極の追っかけなのだった。
何で「虎姫一座」というグループは、こんなにも大人たちを夢中にさせているんだろう。
ともかく見に行かねば。
そう思っている内に、週2日のリハビリに歯の治療、隔週のラジオ、と病人としてはそこそこ忙しい月日が流れ、気づけば10月も後半。いくら最初からロングランと謳っていてもこのままじゃ見ず終いになってしまう。
僕は覚悟を決めた。
浅草六区の全盛時を僕は知っている。
昭和32年4月〜38年3月までの6年間を浅草からは川向こうとなる墨田区は向島で過ごした。
だから僕の知っている浅草六区は、レビュー全盛時の六区でなく映画全盛時の昭和30年代である。
特にゴールデンウィークと正月休みの映画街はほぼ電車のラッシュ時並み。歩くのが困難なほどの賑わいだった。
勿論、浅草の衰退も見ている。
特にテレビドキュメントの構成を始めてからは、三社祭、合羽橋道具街、行商等のテーマで歩いたし、一番古い業界友達の喰ちゃんがWAHAHAのイベントで浅草花やしきを使うようになってからは頻繁に訪れるようになった。
しかし、4,5年前までの六区は往時を知る身にはあまりに切ない衰退ぶりだったというしかない。
あんな興業街のどんな小屋で、一体、どんなshowを見せているというのだ?
僕はある種の怖いもの見たさの感情を抱きつつ、雑貨屋「ドン・キホーテ」ビルの「アミューズカフェシアター」のある階に降り立った。
喰ちゃん演出の際のゆめまちシアターでも感じたが劇場は小綺麗で洒落ている。
六区という土地柄にはどこかそぐわない感じもするのだが、恐らくは僕が昔の六区を知っているせいで、小綺麗さを受け入れられずにいるようにも思えた。
現在、浅草六区に店を構えるには劇場施設を併設すること、というのが決まりらしく、今後、こうした劇場はどんどん増える。
それに伴い、小綺麗で小洒落た感覚が新しい浅草のイメージになっていくのだろうから、古い知識は必要ない、多分ね。
劇場受付で白と黒の制服の少女が「虎姫一座の誰それです。今日は受付の担当です」というような挨拶をしてくれた。
清潔感が印象的だった。
劇場内はまさしくカフェシアターのしつらえで客席はおよそ70人を収容。客席中央には厨房が張り出していて、そこでは調理人とウエイター、ウエイトレスたちが白と黒のスタイリッシュな制服姿で立ち働いており、ウエイターの少女はお茶を運んできてくれた折りに「虎姫一座の誰それです」ととても良い笑顔で挨拶してくれる。
そう、彼ら彼女らはshowの開演と同時に早着替えで演者に変身するのだった。
午後1時。
浅草レヴュー「虎姫一座」の『60年代を突っ走れ!』は『クール』から始まった。
ご存知『ウエストサイド物語』の名曲で、この映画で人生の階段を幸せに踏み外した僕は、早くも期待に胸がときめいた。
ステージの壁面にナビゲーターの小倉久寛さんが現れて『ウエストサイド物語』が1961年上映であること。日本にもミュージカル熱が高まり、ハナ肇とクレイジー・キャッツ、『シャボン玉ホリデー』『ザ・ヒットパレード』『夢で逢いましょう』といった後世に名を残す名番組が生まれたことなどを手際よく紹介する。
惜しむらくは『ウエストサイド物語』を『ウエストサイド・ストーリー』と読んでいること。のちに、誰も文句を言わなくなったが、上映時は『ウエストサイド・モノガタリ』というのが正式タイトルだった。
余談だがタイトル案で最有力だったのは『ニューヨーク愚連隊』。
歴史に残るヒット作にはならなかったかもね。

さあ、『ウエストサイド物語』の『クール』で始まった虎姫一座のステージは小倉久寛さんのナビゲートで
青島幸男作詞、萩原哲晶作曲で知られる
「クレイジー・キャッツ・ヒットメドレー」へ。
●スーダラ節
●ホンダラ行進曲
●ハイそれまでよ
他、お馴染みクレイジーのヒットナンバーが続く。
しかし、虎姫一座、植木等さんが奮闘した「無責任時代」なんか知るよしもないはず。
ところが彼ら、その世界を必死の取り組みで体現して見せる。
コント的所作に硬さは残るものの客席自体もまだ十分に暖まっていないのでウォーミングアップとしてはこれで良いのじゃないかな。
最初から植木さんを達者に演っちゃったら悪達者な若者たちにしか見えない。固さに初々しさを感じさせるこの出だしにむしろ程の良さがある。
しかし、次の『ザ・ヒットパレード』の景で虎姫一座は彼らの魅力を早くも全開させる。
●恋の片道切符
●そよ風に乗って
●スタンド・バイ・ミー
●夢見るシャンソン人形
●カレンダー・ガール
ああ、曲名を全部書いてしまいたいと思うほどキュートなナンバーが続く。
特にマジョリー・ノエルの『そよ風に乗って』。これ、何故かベストヒット盤に収録されることが少なく、掛けようと思うと局のレコード室から誰かが借り出し中。一枚しかないレコードをめぐって局中がカリカリした人気曲なのよね。
溌剌と歌い踊る清涼感に選曲の良さが加味されてもはや涙モノのステージが展開してる。
60年代どストライクの僕にはホントにたまらん♪
ステージはここで突然、「和モダン」の世界に突入する。
甚句を歌い始める娘さん。
心地よいコブシに男二人が打ち鳴らす和太鼓が加わる。
ああ、そうだそうだ、男の子もいたんだよな。
これまで彼らも女の子たちと歌い踊っていて、なんの違和感も持たせていなかったのだが、この景で突如、その存在を顕かにする。
彼ら二人の存在がこの一座にピリッと背筋が伸びている感じを与えていたことがわかる。
聞けば彼らは「鼓童」の出身。
上手いはずだ。
甚句の女の子は民謡出身で、何故か民謡の出身者はどのジャンルの歌にも死角がない。たとえば三橋美智也、細川たかし、金沢明子、松村和子…。
そして、気づくのだが、一座の多くの少女たちは一人一人が得意ジャンルを持っているようだ。
アクロバット、新体操、バレエ、ヒップホップ系ストリート・ダンス…。
彼ら彼女らの特技が随所に活かされ、巷に氾濫する数多の少女グループと一線を画していることが判ってくる。
次に小倉久寛さんは『日曜洋画劇場』へと誘う。
淀川長治さんが大人気だった60年代。
そう、淀川さんが有名にした最初のスターは『ララミー牧場』のジェスことロバート・フラーだった。
大好きだった。写真が出てきただけで泣きそうだ。
小倉さんは60年代の洋画ヒットはアメリカよりヨーロッパ作品が多かったことを伝え、ステージは「映画音楽」へ。
●007 ロシアより愛を込めて
●日曜はダメよ
●太陽はひとりぼっち
●栄光への脱出
「007」2作目は『危機一発』のタイトルで封切られたが、苦心のタイトルも『危機一髪』の誤植じゃねえのか、と言われ、主題歌タイトルとして超有名だった『ロシアより愛を込めて』に変わった。元々、原題はそれなのだから工夫しただけ損した結果になったけど、僕は『危機一発』のシャレ方も捨てがたいと思っている。
凛々しく、愛らしく、アンニュイに、気高く歌われた主題歌集もアッと言う間。
『刑事』から「死ぬほど愛して」『太陽がいっぱい』の主題曲に無理やり詞をハメ込んだ木田ヨシコver.『ブーベの恋人』の主題歌(多分これも日本だけ)なんかに入れ換えても面白そう、などと、彼らの実力の程が判ってきたので見る側にも余裕が出て来た。
そして、このステージの白眉とも言える60年代を代表する音楽バラエティ番組『シャボン玉ホリデー』vs.『夢で逢いましょう』。
それは詰まるところ、宮川泰 vs. 中村八大という昭和を代表する人気作曲家対決でもある。
●「夢で逢いましょう」のテーマソング
●「シャボン玉ホリデー」のテーマソング
●ウエディングドレス
●娘よ
●帰ろかな
●あの娘の名前は何てんかな? 
●遠くへ行きたい
●幼なじみ
などなど永六輔作詞 中村八大作曲で知られる『夢逢い』の名曲オンパレード。
『上を向いて歩こう』『こんにちは赤ちゃん』を生んだことでも知られている。
『あの娘の名前は…』は九ちゃんが呼び掛ける名前に、当時のプロダクション関係者からロカビリー歌手、仲間のポップス歌手たちが並ぶお遊びソング。
お遊びなのにちゃんと作品として成立してるのが味噌。
一座はこれらを楽しそうに歌いきった。
益田喜頓さんの『娘よ』を年齢の違和感ナシに聞かせたのも立派。
ところで、永さんは『スキヤキ』とタイトルされた楽曲からは一切の印税受け取りを拒否してらっしゃる。出来るだけ『上を向いて歩こう』と言ってあげてね。
対する宮川泰作品は『シャボン玉ホリデー』の主役である、世界に誇れる日本のデュオ、ザ・ピーナッツの代表作でもある。
●情熱の花(これは外国曲だけど)
●恋のフーガ
●恋のバカンス
●ローマの雨
『ローマの雨』はピーナッツの美しいハーモニーを最大限に再現して聞かせた曲で、一番きれいにハモる部分では一座の声がまさしくピーナッツに重なる。
感心した。
ピーナッツは真似て真似られるコーラスではないが、美しいコーラスを追い求めるとピーナッツになってしまう、ということなんだと思う。
現代の歌は言葉数が多すぎるのと説明のしすぎで歌い手の表現力に頼る部分が少ないが、昭和の歌は歌手の力と聞き手の想像力に委ねる部分をわざわざ残している。
言葉に頼りすぎると聞き手を楽にしすぎるので『ローマの雨』の美しい表現もハーモニーも要らないものになってしまう。
虎姫一座はその表現力を手にする機会を得た幸運なグループだ。
これからもっともっと成長するはずだ。
さて、その虎姫一座が最後に歌ってくれるのがかぜ耕士作詞、中村八大作曲の『涙をこえて』だ。
贔屓の引き倒しになりそうで怖いのだが、これが絶品なのだな。
1970年に始まったNHK-TV『ステージ101』の第1号オリジナルソングだが発表は1969年11月で日本のソフトロックのハシリ、とも形容されている。
オリジナル・シンガーはシング・アウトという7人組だが『ステージ101』の出演者全員45人(総称「ヤング101」)が有名にしてくれた。
45人の番組第1期メンバーは何人かを除いて既に期待の新人としてレコードデビューしていたが、何故かセールスに結び付かなかった。
音楽監督の八大さんと演出の末盛憲彦さんは不運だが上手さ折り紙つきの新人を次々にオーデションして第一期メンバーを決めた。
彼らの歌う『涙をこえて』に実在感が伴ったのにはそんな理由もある、と僕は思っている。

では、虎姫一座は?
イヤー、はっきり言って驚いたのだ。
ギランバレー症候群という訳のわからない病気でリハビリ中の(というか、リハビリ以外に治す術がない、という病気だ。リハビリを諦めたら終わりなのだ)の僕が、なんと、自分の歌で励まされるとは、ネ。
こんな幸せが僕の人生にまだ残されていたとは!
だから、僕は彼らの求めに応じて立ち上がり、一座のみんなに、そしてお客さんたちに頭を下げた。

彼らは何故、『涙をこえて』をあんなに上手く歌ってくれたんだろう。
パンフを読んで解った。
彼らは若いけど結構苦労人が多いのだ。
「ヤング101」との共通点があったことになる。歌にとっては幸いなことに上手く歌ってくれる素地を虎姫一座の皆さんが持っていたことになる。
さらに、彼らが大人を捉えているのにも理由があった。
虎姫一座は元「アミューズ」社長(現会長)の大里洋吉さんとプロデューサーの森弘明さんが手塩にかけて育てたグループだ。
お二人とも『夢で逢いましょう』の演出家末盛憲彦さんに憧れてこの世界に入った。
僕は同じ番組の書き手永六輔さんに憧れて永さんが集めた創作集団に入った。
大里さんは社長の座を離れた時、世界のエンターテインメントに触れる旅を敢行した。
多くの国でシニア世代はエンターテインメントを享受していた。
しかるに日本は?
日本のシニア世代に向けた質の高いエンターテインメントを提供できないものか?
そんな構想の中で集められ、育てられたのが虎姫一座だった。
彼らは既に5年前、2010年7月に結成され『復活!昭和歌謡 エノケン・笠置ヒットソング・レヴュー』を上演。
1年毎に新作を上演して1年前浅草に定着。
昨日今日出て来た連中ではなかった。
それにしては、彼らの持っている清潔感、舞台に漂う清涼感は何?
僕は震えた。心底嬉しかった。
作詞家である自分を誇らしく思った。
自分の歌に励まされるなんて間抜けの極みだけれど、こんな経験した作詞家もそんなにはいないだろうね♪
なんかとても満たされた気分で、僕は銀座TACTに向かった。
僕の番組の人気アマチュアグループとして活躍したハックルベリー・フィンのマーク松村くんが亡くなって1年。
相棒の丈二くんによる追悼コンサートとも言えたが、これはまた新生ハックルベリー・フィンの出立コンサートでもある。
何人もの懐かしい顔に出会って、こっちでも励まされた一日でした。
ちなみに僕は今日リハビリで三枝さんにお会いしたのだけど虎姫一座を僕も見て来たよ、としか話しませんでした。もちろん、それだけでしばらく話題は持ったんだけど、僕の歌を歌ってくれてる、って言っちゃうとリハビリ所で余計な興味を持たれるものね。
単なる芸能通の山田さんでいいや。

写真は「虎姫一座」の看板と銀座TACTのじょうじさんコンサートに集まったタムタム仲間。

虎姫一座.jpgTACT.jpg
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2013年08月03日

『アメリカン・ダンスアイドル』シーズン8 Top16 → 14への演技 Dlife ch.

ゲスト審査員には
「元祖クランパー」のリル・C.
エミー賞女優クリスティン・チェノウェス
そして、レギュラー審査員のメアリー・マーフィ ナイジェル・リスゴー
クリスティンには見覚えがある。これはとても不確かな記憶なんだけど『glee』の早いシーズンでウィル先生(マシュー・モリソン)の高校の同級生でブロードウェイで一流になれずに帰ってきた女性を演じていませんでしたかね?
登場エピソードが少なかったんだけど、なんか彼女じゃないかな、と直感的に思った。
電車の中なので、リサーチする根気はないんですが…。

@オープニング・ダンス
 振り付け タイス・ディオリオで『旅立てジャック』
 いつもながら見事。

 ★ちなみに僕のスマホでは「振付」という字は出なくて「振り付け」になってしまう。

Aサーシャ×アレクサンダー
 課題 コンテンポラリー振り付け ディー・キャスパリー
 美しい動きに魅了された。
 このペアは何を踊っても水準以上の仕上げをしてくる。
 サーシャは言い訳ばかりの妹に翻弄されていた予選の頃が嘘のよう。
 とても良い。

Bケイトリン×ミッチェル
 課題 サンバ 振り付け ジャン=マルク
 ケイトリンは一目瞭然の巧さ。
 ミッチェルは前回の切れのなさがこれまた嘘のような見事な出来。
 初舞台は『フェーム』のリロイ役だったとか。
 貧乏で学校へ通えない黒人少年がダンスで救われる役でこの作品の要。
 なるほど、最初からそういう期待をされたダンサーなのか。
 このペアも思ったより強いペアに成長中。
 テレビ版でリロイをスラムから掬い上げ厳しく訓練するダンス教師を演じたのがデビー・アレン。
 この番組の審査員としても人情家の一面を見せながら、だが厳しい審査をする。
 役のままの人柄なので嬉しくなっちまう。今シーズンも彼女の審査員姿を見たい。
 
Cミランダ×ロバート
 課題 ブロードウェイ 振り付け タイス・ディオリオ
 1981年の舞台『Sophisticated Ladies』から。
 古い舞台の再演版だと思うけどこれが有名な『Swingしなけりゃ意味ないね』というナンバーなんですかね? 見てないので何とも言えない。
 ロバートは動きは良いんだけど技が見えてこない。

Dメラニー×マルコ
 課題 リリカルHipHop 振り付け タビサ&ナポレオン
 涙が出た。なんて良いペアなんだろう。
 踊るだけで見ている人を泣かせちゃうダンサーって…。
 手慣れた感じのない、清新な魅力が見る者をワクワクさせる。
 ここまでの仕上がりを見せてくれると、初回で惚れた甲斐があったヨ!

Eアシュリー×クリス
 課題 jazz 振り付け ソニア
 ゾンビダンスっていうのが僕はダメ。
 顔をいろんな色で塗って、さらに汚してしまうのでダンサーの表情がちっとも読めなくなってしまう。
 この種のものは『スリラー』だけで良いんじゃない?
 ソニアの作品でこんな低レベルなものを見たことがないのでいささか驚いた。
 これまでソニアの振り付けで脱落の危機にさらされたペアっていたっけ?
 と思うほどシャープな作品ばかり作り続けてきた振り付け師に一体何があったのだ?
 アシュリー&クリスはとても良いダンサーなのに今日は力を発揮するチャンスを奪われた。
 なんて思ったらナイジェルが当然だけど同じことを指摘してる。
 その通りだと思う。
 ちなみに材を採ってる『ビートルジュース』は野球の野茂さんのテーマソングともなったハリー・ベラフォンテの『バナナボート』が流れるのでも有名なティム・バートンの作品。
 「(ヒ)デーオ、(ヒ)デエエオオ〜」のアレですね。

Fクラリス×ジェス
 課題 フォックストロット 振り付け ジャン=マルク
 フランク・シナトラの『フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン』で。
 この課題はいつも忙しなさが目につくものなんだけど、この二人は不思議な優雅さで踊り切った。
 二人とも実力十分なのは判ってるんだけどここまで上手くやられると、なんか可愛くない、という気分も湧いてくるのだから視聴者というのは勝手なもの。
 ゴメンね、クラリス&ジェス。すンごく上手かった。

Gライアン×リッキー
 課題 コンテンポラリー 振り付け ソニア
 さっきの仕事は全くダメだったソニア。これは別人のような作品です。
 難しい振りを見事に踊り切った二人に感心。リッキーは前回のガーリーな感じは微塵もなく、鋭い切れ味を見せた。
 そうですか、ソニア、お父さんが亡くなりましたか。
 でも、アシュリー×クリスがそれで落ちるのだとソニア、後悔してもしきれなくなるね。
 却って可哀想。

Hジョーダン×タッド
 課題 HipHop 振り付け タビサ&ナポレオン
 タッドはB boyなのでお手のものの課題だが、まあ、それにしても動きが良い。
 今シーズンは上手いのが集まったのは確かだけど、それにもまして、みんな感情表現が上手なので感心してしまう。
 ベッドの中でのジョーダンの表情はちょっと戴けないけど、タッドはこれからのコミカルな展開を予想させる楽しい芝居を見せてる。
 
 でも、今日一番心に残ったのはメアリーが引いたこんな言葉。
 「幸運とは準備がチャンスに出会うこと」
 ほぼ格言だね。ウーン。見事すぎて言葉もない。

Iエンディング 
 グループ・パフォーマンスはディー・キャスパリーの振り付けでコンテンポラリー・ダンス。

 今日は1組にしかマイナス点、付いていないのでなあ。
 あと、ロバートがやや、出遅れか…。 
posted by レドンドの風 at 16:08| Comment(5) | TrackBack(0) | TV番組 -アメリカ- | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月27日

『アメリカン・ダンスアイドル』シーズン8 Top20→16への結果 Dlife ch.


司会はキャット・ディーリー。
レギュラー審査員は メアリー・マーフィーとナイジェル・リスゴー。
ゲスト審査員は デビー・レイノルズ。

ゲスト・パフォーマンスひと組目は レイジ・クルー。
8歳から18歳までの少年少女たちのダンス・クルー。
踊れてる、というより動けてる、という類。
今シーズンの挑戦者たちとは比べられない。こちらは子供。技術も情感も。

ふた組目は LMFAO。バック・ダンスをクエスト・クルーが務めた。
LMFAOは『パーティ・ロック・アンセム』で確かに2年前、ビルボード誌を騒がせていたグループだが、流行り物というのは世相や競合アーチストとの兼ね合いもあって作品だけで評価しきれない側面がある。
『パーティ・ロック・アンセム』はNo.1を獲得したと思うんだけど、この日のパフォーマンスにその事実を伺わせるモノはハッキリ言って何もない。
そんなに面白くないし、飛び抜けた楽曲だとも思えない。何だろう、この気の抜けた感じ。
それでも、記録としては「No.1獲得曲」として語り継がれるのは間違いないんだから不思議だ。記録と記憶はイコールじゃないから何年先も覚えているかは判らない。
それに、僕自身は生きてるかどうかさえ判らないんだから、こんな憎まれ口はきかずに静かに年老いて行けば良いわけだけどサ。

ホクトとドミニクたちが作ったクエスト・クルーはほぼ毎シーズンゲスト出演している感じ。
この番組スタッフにこんなに愛された出演者たちも珍しいかも…。
扱いが毎回「ゲスト」という番組出身者、そうそうはいないモノね。

Bottomは
@ミッシー×ワディ
Aイヴェタ×ニック
Bライアン×リッキー

今シーズンに限らず、この数シーズンは女性ダンサーに優れた踊り手が多いので、Bottom入りも男性パートナーの出来次第になっている。
で、結局このブログでも感想がBoysの出来についてばかり書くことになっちゃうんだが、今回はそれが如実に表れた。

脱落は
Boys B boyワディ、タップのニック
girls 美人のミッシー、10ダンス・チャンピオンのイヴェタ

ワディはクジで引き当てた課題の不運。
ニックはデカ過ぎておそらく誰と組んでもバランスの問題がつきまとう。
この結果は仕方ないのかもな。girlsはただただパートナー運の悪さ、ということで片付けておきましょう。



posted by レドンドの風 at 02:20| Comment(2) | TrackBack(0) | TV番組 -アメリカ- | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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